ったことは、彼の死んだ年一九一九年に心霊現象研究会の Presidential Address をやっているのを見ても分るであろう。何事も容易に信じない代りに、また疑わしいものでも容易には否定しないのが彼の特長であった。
一八七五年に上院で演説をさせられた。それは衛生問題に関することであったが、云いたいと思うことは皆口止めされて結局何も云うことがなくて困ったと云ってこぼした。これはソリスベリー卿が彼を政治界へ送り出す初舞台としてやらせたらしいのであるが、当時既にレーリーの心は科学の方へ決定的に傾いていた。一八七六年には動物虐待防止法案の修正を提出した。一八七二年にはグラドストーンから大学の財政に関する調査委員会の一員となることを勧められた。一八七七年大学令の改正委員が選ばれた時も、彼は仲間に入れられた。旧師のストークスもその員《かず》に加わっており、わざわざアイルランドから出かけて来たが、会議中ただの一語も発せずに坐っていたそうである。レーリーも会議にはあまり熱がなかったと見えて、ある人が彼にある科学上の問題を話しかけたとき、それは午後の委員会のときにゆっくり考えてみようと云った。こ
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