めるものであろうが、今の私の立場から見るとあまりに現在の科学の領域を逸出した問題である事はやむを得ない。もっとも今から百年二百年後の精神物理学者が今の私のような立場でこの巻を読めばあるいは、この巻において最も興味ある発見に出会うかもわからないという事は想像し得られる。しかし私としてはこの巻をきわめて概括的な、主としてマンローの摘要による紹介だけで通過しなければならない。これらの所説の哲学史的の意義については他の哲学書に譲るほかはない。
 冒頭には例によってエピクロスにささげた礼賛《らいさん》の言葉がある。そうして、あらゆる罪悪を生むものは死の恐怖である。もし、精神というものの本性を明らかにさえすれば、死は決して恐ろしいものではなくなるであろうから、これからその説明を試みようというのが前置きである。
 まず心(mind, animus or mens[#「animus」、「mens」の部分はイタリック体])は他の学者の説くごとく人体の調和原理でもなく生命原理でもなく、ちょうど頭や足が人体の部分であると同様の意味において人体の「部分」であるに過ぎない。その証拠には肉体が病気でも心は幸福であ
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