から色が生じるように、感覚のない土から蚯蚓《みみず》が生まれる。草や水が牛馬に変わる。同じ元子が混合排列のしかたや運動のしかたによっていろいろのものができる。ここで彼は生物がいかにして無機物から生じうるかを説明せんと試みている。後条で精神の元子を論ずるのであるからここでそういう議論は必要がなさそうにも思われるが、しかしここでは心や精神と切り離して感覚を考えているらしい。それはとにかく、感覚を有するものの素成元子は感覚を有すべきだとする事は必要としない。むしろありとするほうが不合理だとする彼の所説にはかなり重要な意義を含蓄しているように思われる。結局はこれもやはり前にたびたび繰り返した、物質と生命との間の「見失われた鎖環」に関する考察の一端である。平たく言えば、もし元子が生物のごときまとまった感覚をもつとしたら、それの集合したものがいかにして一つのまとまった感覚を持ちうるかという考えであると読まれる。
その次に、生物がはげしい衝撃を受けると肉体と精神との結合が破れて後者が前者の孔《あな》から逃げ出すというような考えから、苦痛や快楽の物質的説明を試み、「笑いの元子」などというものはないと
前へ
次へ
全88ページ中56ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング