の運動を生ずるという考えが述べてあることである。それがちょうどブラウン運動の記述に相当する事である。
 元子が動いているのにその組成物体が静止しているように見える事のあるのは何ゆえか。それはわれわれの「知覚には限界がある」からである、と言って、遠い小山に緑草をあさる羊の群れがただ一抹《いちまつ》の白い斑《まだら》にしか見えないという、詩人らしい例証をあげている。この知覚の限界という事を延長させれば、「観測の限界」という最近の物理学の標語になるのである。
 元子の速度はいかに大きいものであるか。太陽が出ると一瞬時に世界は光に包まれる。この光の元子は空虚を通るのではなく、物質の中を通って来るのにかかわらず、これほどに早いものであるとすれば、空虚を飛び行く場合の速度はさらに大きなものでなければならないと論じる。
 ここで光の速度という観念、また真空と物質の中とでの速度の相違という事が想像され意識されている。
 次に元子説の反対者が「神の意志」を持ち出すのに対する弁駁《べんばく》が插入《そうにゅう》されているが、これと本文との連絡がよくわからないとマンローも述べている。しかしあるいは元子が一種
前へ 次へ
全88ページ中44ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング