し、また一方では自説に対するこれら他学派の持ち出すべき論難に対して勇敢に応戦している。しかし、要するに、これは、彼の元子説特に元子に第二次的属性を付与する事が不穏当であるという前提の延長であるが、しかしそれはまた今の物理学が当然の事として採用しているところである。この条を読んでいると、今の物理学者がもし昔のギリシアの学者たちと議論したとしたならば、必ず言いそうな事が数々見いだされておもしろい。
 この論議の中に、熱は元子の衝突運動であるという考えや、元子排列の順序の相違だけで物の変化が生じるというような近代的の考えも見えている。
 そこで、ルクレチウスは言葉を改めていう。自分はミューズの神のインスピレーションによって、以下さらに深く真理の解説をしようとする。しかしこういうめんどうなむつかしい事がらを説くには、「詩」の助けをかりなければならない。苦《にが》い薬を飲ませるには杯の縁に蜜《みつ》を塗らなければならない、と言っている。
 さて、それから、空間には際限がないという事を論ずるのであるが、これは、「先には先がある」というだけの事であって、これはアインシュタインの一般相対性理論の出るま
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