あ》る何かのエネルギーあるいは「作用《ウィルクング》」のごとき量を基本的のものとしてこれを空間と対立させる事によって、新しき力学的系統を立て直す事は不可能であろうか。そうする事によっていろいろの現代の物理学当面の困難が解決されうる見込みはないものであろうか。少なくもルクレチウスの言葉はこういう問題を示唆するもののように思われる。
次に彼は論じて言う。元子からいろいろの硬《かた》さのものが造られるが、元子自身は完全に剛体であると考えなければならない。なんとならば、元子が柔らかいものであれば、これはその中に空虚を含んでいる。しかるに空虚と元子と対立すべきその元子の中に空虚が含まれているわけには行かない。where'er be empty space, there body's not; and so where body bides, there not at all exists the void inane. である。ここで私は思い出す。かつて分子や原子の「弾性」という事が問題になった事がある。可触的物体の「弾性」を説明するために持ち出された分子や原子に、可触的物体と同じような「弾性」
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