C p. xxii.
(5) N. Bohr, Nature, April 14, 1928, Supplement. ドイツ語で同じものが Naturwissenschaften にも出ている。
 ちなみに故|日下部四郎太《くさかべしろうた》博士が十年ほど前に「時の素量について」という意味の題目で一つのおもしろい論文を東京数学物理学会に提出した事があった。私は今その内容を記憶しないのを遺憾とする。この論文はしかしなぜか学会の記事には載らなかった。あまり変なものだというのでどこかで握りつぶされたといううわさもある。そういううわさのありうるほどにオリジナルなものであったのである。しかし今読んでみたら案外変ではないかもしれないと思う。日下部博士はルクレチウス的要素を多分に持った学者であったのである。なおエピキュリアンが時を素量的のものと考えたという事を何かで読んだことがあるが、ルクレチウスの中で明白にそう言ってあるのは私には見当たらなかった。またラスウィッツの「原子論史」(I, S. 140)によると、アラビアのムタカリムン(〔Mutakallimu_n〕)と称する一派の学者は時を連続的と考えないで、個々不連続な時点の列と考えている。しかしてやはり人間感覚に限界のあるという事で、この説の見かけ上の不都合を弁護しているそうである。これも注意すべき事である。
(6) R. C. McLean, Nature, May 12, 1928, p. 749.
(7) 〔H. Poincare', Letzte Gedanken〕 の最初の論文「自然方則は変化するか」
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[#地から3字上げ](昭和四年九月、世界思潮)

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(「物質と言葉」への追記)以上のルクレチウス紹介を書いた後に入手した関係文献を参考のためにしるす。
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1) T. Lucretius Carus, Von der Nature der Dinge, nach der Uebersetzung von K. L. v. Knebel. (Reclams Universal−Bibliothek, Nr. 4257―4259.)
2) 〔Lucre`ce, De la Nature, Traduction 
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