て真でありうることを認容してかからねばならないというのである。この事は意外にもかえって往々にして現時の科学者によって忘却される。精密という言葉、量的という標語を持ち出す前にまず考えなければならない出発点の質的のオルターネティヴが案外にしばしば粗略に取り扱われる。その結果は、はなはだしく独断的に誤れる仮定に基づいためんどうな数学的理論がひねり出されたりするような現象が起こる。そういう意味でルクレチウスのこの態度は、むしろ今の科学者に必須《ひっす》なものと考えなければならぬ。
この態度で彼は太陰太陽の週期の異なる理由、昼夜の長短の生ずる理由、月の盈虚《えいきょ》、日月の蝕《しょく》の原因等に関する説明の可能なものを多数に列挙している。これらの説明はそのままには今日適用されないとしても、彼のいうごとく「どこかの他の世界」では適用しうるものを包有している。たとえば盈虚や蝕の説明の中に、近代に至って変光星の光度の週期的変化の説明として提出された模型が明示されてあったりするのは、決して偶然ではなくて、むしろ当然の事である。すなわちこの世界で適用しなかった一つのものが他の世界で適用されるにほかならない。将来においても、このへんの彼の所説の中のある物が、前衛に立って戦う天体物理学者のある行き詰まった考えの中に、なんらかの暗示の閃光《せんこう》を投げ込むこともありうるであろうと思われる。
開闢論《かいびゃくろん》、天体論の次には、この世界における生物の発生進化の解説が展開されている。まず植物が現われ、次に現われた最初の動物は鳥であった。これは天涯《てんがい》から飛来したものではなくやはり地から生まれた。それはちょうど現に雨や太陽の熱によって肥土から虫が生まれるように生まれたものであると説く。これは近代物理学の大家が、生命の種子を天来の発生物に帰せようとしたつたない説をあざけるようにも聞こえる。人間も初めのうちはやはり地から生まれ、そうして地の細孔から滲出《しんしゅつ》する乳汁《にゅうじゅう》によって養われていた。しかしその後に地がだんだん老衰して来たから、もう産む事をとうにやめてしまったというのである。これは確かに奇説である。しかし彼の学説から見ればそれほど不都合ではあるまい。
ここで地の老衰を説いた後に
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