ィもしろい。現代の職業的科学者のうちには科学者の着物を着た迷信家がたくさんあるのに、二十世紀前に生まれて、エレクトロンの何であるかも知らなかったローマの詩人に、この徹底した科学者魂を発見するのはいささか皮肉である。
 そうして彼は次の数句を歌う。
[#ここから3字下げ]
This terror, then, this darkness of the mind,
Not sunrise with its flaring spokes of light,
Nor glittering arrows of morning can disperse,
But only Nature's aspect and her law,
[#ここで字下げ終わり]
 この句は後にもしばしばリフレインとして繰り返さるる。私はこの四句をどこかの科学研究所の喫煙室の壁にでも記銘しておいてふさわしいものであると思う。
 この次の二句は
[#ここから3字下げ]
Which, teaching us, hath this exordium:
Nothing from nothing ever yet was born.[#「Nothing from nothing ever yet was born」の部分はイタリック体]
[#ここで字下げ終わり]
 迷信から来る精神の不安を除くべき魔よけの護符はすなわち「物質不滅の方則」である、というのである。もちろん彼は彼の物質元子論から出発して、結局それから霊魂の可死を論ぜんとするのではあるが、彼のここに言うエキソルディアムは、おそらくもう少し一般化して「自然科学的世界観」をさすものと解釈しても、たぶん彼の真意を離れる恐れはあるまいと考えるのである。
 現在の物理学における物質不滅則、原子の実在はだれも信ずるごとく実験によって帰納的に確かめられたものである。二千年前のルクレチウスの用いた方法はこれとはちがう。彼はただ目を眠りふところ手をして考えただけであった。それにかかわらず彼の考えが後代の学者の長い間の非常の労力の結果によって、だいたいにおいて確かめられた。これははたして偶然であろうか。私はここに物理学なるものの認識論的の意義についてきわめて重要な問題に逢着《ほうちゃく》する。約言すれば物理学その他物理的科学の系統はユニークであるや否やということである。しかし
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