`ウスが現代の科学者にとって有効に役立ちうるとすれば、それはまさにこの稲妻の役目をつとめうる点である。たとえば化学的分子の立体的構造を考えていた化学者や渦動原子《かどうげんし》の結合を夢みていた物理学者にはルクレチウスの曲がったり角立《かどだ》ったりした元子は必ずなんらかの暗示を与え得たであろうと思われる。のみならずたとえば最近にボーアがネチュアー誌上に出した(5)[#「(5)」は注釈番号]
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The Quantum Postulate and Atomic Theory.
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と題する興味ある論文を読んだ後に、ルクレチウスの第一巻を開いて、
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Even time exists not of itself; but sense
Reads out of things what happened long ago,
What presses now, and what shall follow after:
No man, we must admit, feels time itself,
Disjoined from motion and repose of things.
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という詩句を玩味《がんみ》してみると、いかに最新の学説に含まれた偉大な考えがその深い根底においてこの言葉の内容と接近しているかに驚かざるを得ない。もしルクレチウスの sense を「実験観測」と置換し、また彼の motion and repose を ΔE 等で置換すればこれはまさにボーアの所説となるのである。もちろん私はボーア、ハイゼンベルヒらがルクレチウスを読んで暗示を得たとは思わない。しかし彼らの考えが識域の下においてまさに発酵しようとしている際に彼らがもし偶然この詩句に逢着《ほうちゃく》したとしたら、そして彼らの心の窓が啓示の光に対して開放されていたとしたら、おそらく彼はデスクをたたいて立ち上がり、「ユーレーカ」を叫んだのではあるまいか。これはもちろん私の想像でありドラマであるが、そういう場面が、いつかどこかで起こり得ないとは保証し難いことである。
暗示の閃光《せんこう》が役に立つためにはもちろん見るべきものに直面して両眼をあけていなければならないのである。それで科学の既得の領土に隠居して、虎《
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