さんはちゃんと心得ていてさっそく水道栓へアースを引っぱって、アンテナを天井の廻りに引延ばして、ともかくも音だけは旧通りに聞こえるようにした。そうして鼻を高くして帰って行ったのである。こわれた虫眼鏡が把手《とって》をつけただけでたちまちにして顕微鏡になったようなものである。しかしアースやアンテナを引っぱり廻わす事なしに役に立つ感度の好い機械としての価値はもう永久に失われたようである。東京市会議員のような機械になってしまったのは無残である。正宗《まさむね》がなまくらになったのは悲惨である。
それにしても、ラジオを商売にしている商売人でありながら、それぞれの機械に固有な感度というものを認めないのが不思議に思われる。正宗を砥《と》ぎにやったのをなまくらにして返して、これでも切れると云って平気でいるのは、少しおかしいと云わなければならない。
理科の学問をしているのに、どうして自分でラジオ機械を修繕しないのかと聞かれることがある。なるほど電磁気学理論の初歩も知らない素人で非常にラジオ通があるのに、三十年来この方面の学問に関係し、しかもそれで生活して来ている人間が、宅のラジオくらいを直すのに、一
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