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某百貨店でトリルダインと称する機械を買って来て据付けた最初の日の夕食時に聞いたのは、伴奏入りの童話で「蟻《あり》と蟋蟀《きりぎりす》」の話であった。食糧を貯蔵しなかった怠け者の蟋蟀が木枯しの夜に死んで行くというのが大団円であったが、擬音の淋しい風音に交じって、かすかなバイオリンの哀音を聞かせるのが割に綺麗に聞きとれるので、これくらいならと思って安心したのであった。
色々な種類の放送のうちで自分にいちばん苦手なのは演説講演の類である。耳が悪いせいか、「かん」が悪いせいか、本物の演説を聞くのでも骨の折れるくらいであるから、完全でない機械で変形された音波の混乱の中から、変形されない元の波を読取ることはなかなか困難である。それを聞取ろうとする努力はかなりに頭を疲らせる。それで断念して聞かないつもりになっても、音の出ている限り注意を引かれない訳には行かない。いっその事全部分からないアラビア語ででもあればかえって楽であろうが、困った事には時々ところどころ分かる日本語であるからいけないのである。注意が自然と其方《そっち》に向かうのを引戻し引戻しするための努力の方が、努めて聞こうとする場合の努
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