も、それよりもよほど前に、どこかの実験室でのデモンストラチオンを一度経験していたから、「初物」に対する好奇心だけは既に満足されていたのである。なにしろ明治四十四年まで電燈を引かないで石油ランプを点《とも》していたほど不精な自分なのである。
 ある日偶然上野の精養軒の待合室で初めてJOAKの放送を聞いたが、その拡声器の発する音は実に恐るべき辟易《へきえき》すべきものであった。そのためになおさら自分のラジオに対する興味は減殺されたようであった。ところが、ある夏の日に友人と二人で郊外の某|旗亭《きてい》へ行ってそこで半日寝ころがって蜩《ひぐらし》の声を聞きながら俳諧三昧をやった。日が暮れて帰ろうとしていたら階下で音楽が始まった。ラジオの放送音楽である。聞いてみるとそれはハイドンのトリオであった。こんな閑寂な武蔵野の片隅で、こういうものを聞くということが何となく面白かった。蜩の声を聞きながら俳諧に遊んだあとでは、なおさらそうであった。とにかく、この夏の夜の武蔵野で聞いたトリオ以来、ラジオに対する恐怖に似た心持だけは消えてしまったようである。それで宅で受信機設置の議が起った時は別に反対しなかった
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