が何故《なにゆえ》に、何のために、何物をニチャニチャ噛んでいるかも少しも分らなかった。しかし、ともかくもこの最初のチューインガムの第一印象が自分にとってかなりに悪いものであったことだけはたしかである。
ヨーロッパ中の色々な国をあるき廻ったが、税関の検査はほとんど形式だけのものであった。ロシアは八《や》かましいと聞いていたから、自《みずか》ら進んでスートケースの内容を展開しようとしたら税関吏の老人はニコニコしながら手真似で、そうしなくてもいいと制するのであった。尤もその前に一枚のルーブリの形をした信用状が彼のかくしに這入《はい》っていたのであったと記憶する。ドーヴァへ渡ったときは「エネシング、トゥ、デクレアー」と聞かれ「ノー」と答えた、ただそれだけであった。パリのガール・デュ・ノールでは誰だか知らない人が書式へいい加減のことを書いてくれてそれで万事が滞《とどこお》りなくすんだのであった。到る処の青山に春風が吹いていた。
アメリカへ船が着く前に二等船客は囚徒のように一人一人呼び出されて先ず瞼《まぶた》を引っくら返されてトラフォームの検査を受けた。そうして金を千ドル以上持っているかを聞か
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