ういうアメリカ文化であるように見えるのは一体どういう訳のものであろうか。地球上層の風は西から東へ吹いており低気圧でも大体西から東へ動くのに、ヤンキー文化が太平洋を逆に西向きに渡って押しよせるのは何故であろうか。日本人はアメリカでは始終排斥され侮辱されていても、それとは無関係に寛大な日本人はアメリカ文化にあくがれるのである。そうしてあの一種特有なアメリカ人の歩き方までを真似ようとするのである。
日本の固有文化は外国人には一体に分かりにくい。中でも最も分かりにくいものは俳諧であろう。言語の根本的な相違は別としても国民的潜在意識の相違は如何《いかん》ともすることが出来ないのである。それにしてもフランス人やロシア人にはいくらかは俳諧の理解があるということは文献に徴して証明することが出来そうである。しかしおそらくアメリカほど「俳諧の世界」から遠くはなれた国はどこにもあるまいと思われる。日本では泥坊にでも俳諧があるが、アメリカのギャングにはそれがない。チューインガムを噛む税関吏の顔は日本人から見れば俳諧があるかもしれないが税関吏の胸の中には一滴の俳諧もありそうもない。
チューインガムの流行常用によってその歯噛みの動作の反応作用から日本人が生理的並びに心理的にだんだんアメリカ人のようなものに接近して行くというようなことはあり得ないものか。そういう日が来れば我国の俳諧は滅亡するであろう。そうして同時に日本魂もことごとく消滅してしまうであろう。こんな極端な取越苦労のようなことまで考えさせられるのである。
こういうことを書いている自分が、実はまだ一度もそのチューインガムなるものを口に入れたことがないのである。従ってここでいうところのチューインガム亡国論も畢竟《ひっきょう》はただ一場の空論に過ぎないと云われても仕方がないであろうが、しかしこの些末《さまつ》な嗜好品の流行の事実もそう軽々には見遁《みのが》すことの出来ないものではあろうと思われる。
また考え直してみると日本という国は不思議な国であって古い昔から幾度となく朝鮮や支那やペルシアやインドや、それからおそらくはヘブライやアラビアやギリシアの色々の文化が色々の形のチューインガムとなって輸入され流行したらしいのであるが、それらが皆いつの間にか綺麗に消化されてしまって固有文化の栄養となったものらしい。それで俳諧でも「カピタンをつくばはせ」たり「アラキチンタをあたゝめ」たりしながらいわゆる正風《しょうふう》を振興したのであった。現在のチューインガムも、それが噛み尽されて八万四千の毛孔から滲《にじ》み出す頃には、また別な新しい日本文化となって栄えるのかもしれないのである。[#地から1字上げ](昭和七年八月『文学』)
底本:「寺田寅彦全集 第七巻」岩波書店
1997(平成9)年6月5日発行
入力:Nana ohbe
校正:noriko saito
2004年11月24日作成
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