チューインガム
寺田寅彦

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)遊弋《ゆうよく》していた

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)去年の夏|築地《つきじ》小劇場の

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(例)[#地から1字上げ](昭和七年八月『文学』)
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 銀座を歩いていたら、派手な洋装をした若い女が二人、ハイヒールの足並を揃えて遊弋《ゆうよく》していた。そうして二人とも美しい顔をゆがめてチューインガムをニチャニチャ噛みながら白昼の都大路を闊歩《かっぽ》しているのであった。
 去年の夏|築地《つきじ》小劇場のプロ芝居を見物に行ったときには、四十恰好のおばさんが引っ切りなしにチューインガムを噛んでいるのを発見して不思議な感じがしたのであった。
 二十年前に大西洋を渡ってニューヨークへ着きホボケンの税関の検閲を受けたときに、自分のカバンを底の底までひっくり返した税関吏が、やはりこのチューインガムを噛んでいた。これが自分のチューインガムというものに出会った最初の機会であった。勿論その時はチューインガムという名前も知らず、この税関吏が何故《なにゆえ》に、何のために、何物をニチャニチャ噛んでいるかも少しも分らなかった。しかし、ともかくもこの最初のチューインガムの第一印象が自分にとってかなりに悪いものであったことだけはたしかである。
 ヨーロッパ中の色々な国をあるき廻ったが、税関の検査はほとんど形式だけのものであった。ロシアは八《や》かましいと聞いていたから、自《みずか》ら進んでスートケースの内容を展開しようとしたら税関吏の老人はニコニコしながら手真似で、そうしなくてもいいと制するのであった。尤もその前に一枚のルーブリの形をした信用状が彼のかくしに這入《はい》っていたのであったと記憶する。ドーヴァへ渡ったときは「エネシング、トゥ、デクレアー」と聞かれ「ノー」と答えた、ただそれだけであった。パリのガール・デュ・ノールでは誰だか知らない人が書式へいい加減のことを書いてくれてそれで万事が滞《とどこお》りなくすんだのであった。到る処の青山に春風が吹いていた。
 アメリカへ船が着く前に二等船客は囚徒のように一人一人呼び出されて先ず瞼《まぶた》を引っくら返されてトラフォームの検査を受けた。そうして金を千ドル以上持っているかを聞か
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