れがDになっている。これが心の世界である。
七
ファシストはアルプスを愛し、リベラリストはラインやエルベの川の景色を、マルキシストはツンドラや砂漠の景色を好むかもしれない。松やもっこくやの庭木を愛するのがファシストならば、蔦《つた》や藤やまた朝貌《あさがお》、烏瓜《からすうり》のような蔓草を愛するのがリベラリストかもしれない。しかし草木を愛する限りの人でマルキシストになれる人があろうとは想われない。
八
防空演習の夜にとうとうおしまいまで燈火を消さなかったのが近所の風呂屋である。何度となく警告しに来た青年団員がおしまいに少し腹を立てたらその時だけ消した。しかし青年団員が一町も行過ぎるとまた点燈した。尤も電燈を消さなかったのは風呂屋の主人であるが、それを消させなかったのは浴客である。サイレンが鳴り、花火が上がり、半鐘が鳴っている最中に踵《きびす》を接して暖簾《のれん》を潜って這入《はい》って行く浴客の数は一人や二人ではなかったのである。風呂屋の主人は意外な機会に変った英雄主義を発揮して見せた訳である。尤も同時に若干の湯銭を獲得したことも事実
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