、自分は勉強するにしても気随気ままな方法を執っていたから、こんな種類の物を読んでいる余裕もあったのであろう。
こういうと非常に文学興味でも持っていたように聞こえるが、あながちそういうわけではない。だが、こんなところから得たものか、作文は学校においても比較的得手であったように記憶している。
そのほか、自分の家から少しばかり離れた所に親戚があって、そこへ行くといつも書物を出しては、手当たり次第に読んでみた。その中でも「八犬伝」「三国志」「漢楚《かんそ》軍談」などは非常に興味を持って、たいていは読み通したのである。これがため自分ながら読書力は大いに進んでいたように思った。めちゃくちゃに読むということは、無論よいことではなかろうが、とにかく読書力は非常に養える。弊害もあれば、またそれからうくる利益もあるように思う。すなわち書物をなるべく早く読んで、それで理解力を養うにはぜひ、たくさんの書物を読むように心がける必要がある。
こんなふうで、自分の中学においての成績は三年ごろまではまず中ぐらいのところであったが、それから後は佳《よ》いほうであったと言えよう。学科目に対してもあまり好ききらいはなく、かなり一様の点数を得ていたが、ただ習字だけはどうしても下手であった。これがため習字を課せられているうちは、平均点数の上から成績のほうへも影響したが、上級に進んで、習字を省かれるとともに、成績も確かによくなった。そのほか別にきらいのものもなかった代わり、また格別得手というものもなかったが、その中で地理だけは中学時代から、特別に興味を持っていた。それで、なるべくこれをどこまでも研究してみようという考えを起こさぬでもなかったが、ある都合上高等学校では工科にはいり、三年の時改めて物理に転じ、もって今日に至ったのである。
記憶に便ぜんがため、自分は学校にいるうち抜き書きということをよくやった。抜き書きというのは、言うまでもなく教科書中の主要の点を抜き書きして、教科書の欄外などへそのまま書き抜いておくのである。同じ教科書の中でも、動物、植物、鉱物、地理、歴史、化学のごとき、主として暗記すべきものは、こうしたほうが得なように思う。ちょっと例をあげてみると、教師からある種の質問を受けた時、悉皆《しっかい》頭脳《あたま》に記憶してある事がらでも、どうもその質問に応じて、容易に返答ができぬ場合がある
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