なかった。これは、今自分が親に対して深く謝しているところである。
中学へは家から通っていたが、その間、家事を手伝って時間の束縛を受けたようなこともなく、といって学校から帰ると、その日の学課の復習や、あすの下しらべなどを、キチンと時間を定めて、一定の範囲内に一定の勉強を続けたのでもなく、その日、その時において、一日の時間は自然に定まるという至極のんきな方法を執っていた。
日曜日などにしても、平生学校から帰った時と同じく、定まった勉強もせず、定まった運動をするでもなく、田舎のことであるから、時にはある二三の友と遊びに出るようなこともあるが、それとて好んで遊び暮らしたいと思うのでもなく、たいていは自分の好きなようにして自由に過ごしていた。
こんなふうであったから、従って夜はおそくまで、朝は早くから起床して勉強に取りかかるというような例はなく、それに私の家はごく平穏、円満な家庭であったから、いつでも勉強したいと思う時には、なんの障害もなく、静かに、悠乎《ゆうこ》と読書に親しむことができたので、特に勉強の時間を定めて焦慮《あせ》ってやるという必要はなく苦痛を感じながら机に向かうというようなこともさらになかった。従って、自分の勉強法は最も不規則で、また決してたいした勉強家のほうでもなかった。境遇もまた、苦学というより、むしろ始終楽学の境にあったのである。
しかし、高等学校に進んでからは、すでに親のひざもとを離れているし、また一つには年とともにやや思想も固まって来ているから、中学時代に比べると、確かに勉強もしたほうであるが、それとて何も普通の度を越えて、特別にはげしい勉強や、秩序立った読書法など実行したわけではない。
小学時代から自分は学校の教科書以外に、種々雑多の書物、雑誌をやたらに読んでみた。これは何も多読することが、非常によいと自覚してのわけではない。ただ漠然と読書ということに興味を持っていたためだろう。そのへんの事はしかとわからぬが、なんでも種々の書物によく目をさらした。小学校にいたころは、昔博文館から出ていた「日本少年」を始め、名は忘れたが、その他そんなふうな雑誌や、書物をよく読んだものだ。親もまた言うがままに買い与えたものである。
中学に行くようになってからは、小冊の地文学、地理書のようなものを数多く読み、また小説なども大いに読んだものである。前述のごとく
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