いる娘の淋しい顔はいつでも曇っているように思われた。
 二、三ヶ月程たって後息子の顔が店に見えぬようになって、店の塵を払う亭主は前よりも忙がしげに見えたが、それでもいつも同じような柔和な顔つきで、この男のみは裏木戸に落つる梧葉《ごよう》の秋も知らぬようであった。
 やもりはもう見えぬようになった。冬が容捨もなく迫って来て木枯しが吹き募るある夜、散歩の帰り途に暗闇阪近くなった時、自分の数間前を肩をすぼめて俯向《うつむ》いて行く銀杏返しの女がある。たいていの店は早く仕舞って、寂《さび》れた町に渦巻き立つ砂ほこりの中を小きざみに行く後姿が非常に心細げに見えた。向うから来かかった老婆がすれちがった時、二人は急に立止って、老婆の方から、「ホー、しばらくだったね、もう少しはいいかえ」と聞く。振りむいたとき見ると荒物屋の娘であった。淋しい笑《えみ》を片頬に見せて、消入るような声で何か云っているようであったが凄まじい木枯しが打消してしまって、老婆の「ホー」と云った寒そうな声と、娘の淋しかった笑顔とは何かなしに自分の心にしみ込むようであった。暗闇阪の街燈は木枯しの中に心細く瞬《またた》いていた。
 翌《
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