嬉しいのは、心ゆくばかり降る雨の夕を、風呂に行く事である。泥濘《ぬかるみ》のひどい道に古靴を引きずって役所から帰ると、濡れた服もシャツも脱ぎ捨てて汗をふき、四畳半の中敷に腰をかけて、森の葉末、庭の苔の底までもとしみ入る雨の音を聞くのが先ず嬉しい。塵埃にくすぶった草木の葉が洗われて美しい濃緑に返るのを見ると自分の脳の濁りも一緒に洗い清められたような心持がする。そしてじめじめする肌の汚れも洗って清浄な心になりたくなるので、手拭をさげて主婦の処へ傘と下駄を出してもらいに行く。主婦はいつもこの雨のふるのにお風呂ですかと聞くが、自分は雨が降るから出掛けるのである。門を出ると傘をたたく雨の音も、高い足駄《あしだ》の踏み心地もよい。
 下宿から風呂屋までは一町に足らぬ。鬱陶しいほど両側から梢の蔽い重なった暗闇阪《くらやみざか》を降り尽して、左に曲れば曙湯《あけぼのゆ》である。雨の日には浴客も少なく静かでよい。はいっているうちにもう燈《ひ》がつく。疲労も不平も洗い流して蘇《よみがえ》ったようになって帰る暗闇阪は漆《うるし》のような闇である。阪の中程に街燈がただ一つ覚束ない光に辺りを照らしている。片側の
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