た。私自身にもなぜいけないかは説明する事ができないのである。それで後にはわざわざ畳に持ち上がるのは断念して、捕えた現場ですぐに食う事を発明したようである。時々舌なめずりをしながら縁側へ上がって来る猫を見るとなんだか気持ちが悪くなった。われらの食膳《しょくぜん》の一部を食っている、わが家族の一員であるはずのこの猫が、蜥蜴《とかげ》などを食うのは他の家族の食膳全体を冒涜《ぼうとく》するような気がするというのかもしれない。それほどにまでこの四足獣はわれわれの頭の中で人格化しているのだと思われる。
 私は夜ふけてひとり仕事でもやっている時に、長い縁側を歩いて来る軽い足音を聞く。そして椅子《いす》の下へはいって来てそっと私の足をなでたりすると、思わず「どうした」とか「なんだい」とかいう言葉が口から出る。それは決してひとり言ではなくて、立派に私の言う事を理解しうる二人称の相手にそういう心持ちで言うのである。相手はなんとも答えないで抱き上げてやればすぐにあの音を立てはじめるのである。子供のないさびしい人や自分の思うままになる愛撫《あいぶ》の対象を人間界に見失った老人などがひたすらに猫《ねこ》をかわいがり、いわゆる猫かわいがりにかわいがる心持ちがだんだんにわかって来るような気がした。ある西洋人がからすを飼って耕作の伴侶《はんりょ》にしていた気持ちも少しわかって来た。孤独なイーゴイストにとってはこんな動物のほうがなまじいな人間よりもどのくらいたのもしい生活の友であるかもしれないのだろう。
 不思議な事にはあれほど猫ぎらいであった母が、時々ひざにはい上がる子猫を追いのけもしないのみならず、隠居部屋《いんきょべや》の障子を破られたりしてもあまり苦にならないようであった。

       四

 わが家に来て以来いちばん猫の好奇心を誘発したものはおそらく蚊帳《かや》であったらしい。どういうものか蚊帳を見ると奇態に興奮するのであった。ことに内に人がいて自分が外にいる場合にそれが著しかった。背を高くそびやかし耳を伏せて恐ろしい相好をする。そして命がけのような勢いで飛びかかって来る。猫にとってはおそらく不可思議に柔らかくて強靭《きょうじん》な蚊帳《かや》の抵抗に全身を投げかける。蚊帳のすそは引きずられながらに袋になって猫のからだを包んでしまうのである。これが猫には不思議でなければならない。ともか
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