る。海の中にもぐった時に聞こえる波打ちぎわの砂利《じゃり》の相摩する音や、火山の火口の奥から聞こえて来る釜《かま》のたぎるような音なども思い出す。もしや獅子《しし》や虎《とら》でも同じような音を立てるものだったら、この音はいっそう不思議なものでありそうである。それが聞いてみたいような気もする。
 畳の上におろしてやると、もうすぐそこにある紙切れなどにじゃれるのであった。その挙動はいかにも軽快でそして優雅に見えた。人間の子供などはとても、自分のからだをこれだけ典雅《グレースフル》に取り扱われようと思われない。英国あたりの貴族はどうだか知らないが。
 それでいて一挙一動がいかにも子供子供しているのである。人間の子供の子供らしさと、どことは明らかに名状し難いところに著しい類似がある。
 のら猫の子に比べてなんという著しい対照だろう。彼は生まれ落ちると同時に人類を敵として見なければならない運命を授けられるのに、これははじめから人間の好意に絶対の信頼をおいている。見ず知らずの家にもらわれて来て、そしてもうそこをわが家として少しも疑わず恐れてもいない。どんなにひどく扱われても、それはすべてよい意味にしか受け取られないように見えるのである。
 それはそうと、私はうちで猫《ねこ》を飼うという事に承認を与えた覚えはなかったようである。子猫をもらうという事について相談はしばしば受けたようであるが積極的に同意はまだしなかったはずであった。しかし今眼前にこの美しいそして子供子供した小動物を置いて見ているうちにそんな問題は自然に消えてしまった。
 子猫がほしいという家族の大多数の希望が女中の口から出入りの八百屋《やおや》に伝えられる間にそれが積極的な要求に変わってしまったらしい。突然八百屋が飼い主の家の女中といっしょに連れて来たそうである。台所へ来たのを奥の間へ連れて行くとすぐまた台所へかけて行って、連れて来た人のあとを追うので、しばらく紐《ひも》でつないでおこうかと言っていたが、連れて来た人がそれはかわいそうだからどうか縛らないでくれというのでよしたそうである。夜はふところへ入れて寝かしてやってくれという事も頼んで行ったそうである。私が見に来た時はもうかなり時間がたってよほど慣れて来たところであったらしい。
 もとの飼い主の家ではよほどだいじにして育てられたものらしい。食物などもなかなかめ
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