たまま、長い息をすることもあった。妻は医者の間に合いの気休めをすっかり信じて、全く一時的な気管の出血であったと思っていたらしい。そうでないと信じたくなかったのであろう。それでもどこにか不安な念が潜んでいると見えて、時々「ほんとう[#「ほんとう」に傍点]の肺病だって、なおらないときまった事はないのでしょうね」とこんな事をきいた事もある。またある時は「あなた、かくしているでしょう、きっとそうだ、あなたそうでしょう」とうるさく聞きながら、余の顔色を読もうとする、その祈るような気づかわしげな目づかいを見るのが苦しいから「ばかな、そんな事はないと言ったらない」と邪慳《じゃけん》な返事で打ち消してやる。それでも一時は満足する事ができたようであった。
病気は少しずつよい。二月の初めには風呂《ふろ》にも入る、髪も結うようになった。車屋のばあさんなどは「もうスッカリ御全快だそうで」と、ひとりできめてしまって、そっとふところから勘定書きを出して「どうもたいへんに、お早く御全快で」と言う。医者の所へ行って聞くと、よいとも悪いとも言わず、「なにしろちょうど御姙娠中ですからね、この五月がよほどお大事ですよ」と
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