ずらをされますので、どうも恐ろしくて不気味で勤まりませぬと妙な事を言う。しかし見るとおりの病人をかかえて今急におまえに帰られては途方にくれる。せめて代わりの人のあるまで辛抱してくれと、よしやまだ一介の書生にしろ、とにかく一家の主人が泣かぬばかりに頼んだので、その日はどうやら思い止まったらしかったが、翌日は国元の親が大病とかいうわけでとうとう帰ってしまう。掛け取りに来た車屋のばあさんに頼んで、なんでもよいからと桂庵《けいあん》から連れて来てもらったのが美代《みよ》という女であった。仕合わせとこれが気立てのやさしい正直もので、もっとも少しぼんやりしていて、たぬきは人に化けるものだというような事を信じていたが、とにかく忠実に病人の看護もし、しかられても腹も立てず、そして時にしくじりもやった。手水鉢《ちょうずばち》を座敷のまん中で取り落として洪水《こうずい》を起こしたり、火燵《こたつ》のお下がりを入れて寝て蒲団《ふとん》から畳まで径一尺ほどの焼け穴をこしらえた事もあった。それにもかかわらず余は今に至るまでこの美代に対する感謝の念は薄らがぬ。
病人の容体はよいとも悪いともつかぬうちに年は容捨な
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