番に問題となることは、いかにして地上の腐肉から発散するガスを含んだ空気がはなはだしく希薄にされることなしに百メートルの上空に達しうるかということである。ところが、これは物理学的に容易に説明せられる実験的事実から推してきわめてなんでもないことである。
たとえば長方形の水槽《すいそう》の底を一様に熱するといわゆる熱対流を生ずる。その際器内の水の運動を水中に浮遊するアルミニウム粉によって観察して見ると、底面から熱せられた水は決して一様には直上しないで、まず底面に沿うて器底の中央に集中され、そこから幅の狭い板状の流線をなして直上する。その結果として、底面に直接触れていた水はほとんど全部この幅の狭い上昇部に集注され、ほとんど拡散することなくして上昇する。もし器底に一粒の色素を置けば、それから発する色づいた水の線は器底に沿うて走った後にこの上昇流束の中に判然たる一本の線を引いて上昇するのである。
もしも同様なことがたぶん空気の場合にもあるとして、器底の色素粒の代わりに地上のねずみの死骸《しがい》を置きかえて考えると、その臭気を含んだ一条の流線束はそうたいしては拡散希釈されないで、そのままかなりの高さに達しうるものと考えられる。
こういう気流が実際にあるかと言うと、それはある。そうしてそういう気流がまさしくとんびの滑翔《かっしょう》を許す必要条件なのである。インドの禿鷹《ヴァルチュア》について研究した人の結果によると、この鳥が上空を滑翔するのは、晴天の日地面がようやく熱せられて上昇渦流《じょうしょうかりゅう》の始まる時刻から、午後その気流がやむころまでの間だということである。こうした上昇流は決して一様に起こることは不可能で、類似の場合の実験の結果から推すと、蜂窩状《ほうかじょう》あるいはむしろ腸詰め状|対流渦《たいりゅうか》の境界線に沿うて起こると考えられる。それで鳥はこの線上に沿うて滑翔していればきわめて楽に浮遊していられる。そうしてはなはだ好都合なことには、この上昇気流の速度の最大なところがちょうど地面にあるものの香気臭気を最も濃厚に含んでいる所に相当するのである。それで、飛んでいるうちに突然強い腐肉臭に遭遇したとすれば、そこから直ちにダイヴィングを始めて、その臭気の流れを取りはずさないようにその同じ流線束をどこまでも追究することさえできれば、いつかは必ず臭気の発源地に到達することが確実であって、もしそれができるならば視覚などはなくてもいいわけである。
とんびの場合にもおそらく同じようなことが言われはしないかと思う。それで、もし一度とんびの嗅覚《きゅうかく》あるいはその代用となる感官の存在を仮定しさえすれば、すべての問題はかなり明白に解決するが、もしどうしてもこの仮定が許されないとすると、すべてが神秘の霧に包まれてしまうような気がする。
これに関する鳥類学者の教えをこいたいと思っている次第である。
[#地から3字上げ](昭和九年九月、工業大学蔵前新聞)
底本:「寺田寅彦随筆集 第四巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
1948(昭和23)年5月15日第1刷発行
1963(昭和38)年5月16日第20刷改版発行
1997(平成9)年6月13日第65刷発行
入力:田辺浩昭
校正:かとうかおり
1999年11月17日公開
2003年10月22日修正
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