釉のかかった、少し大きい花瓶が目についた。これも粗末ではあるが、鼠色がかった白釉の肌合も、鈍重な下膨《しもぶく》れの輪郭も、何となく落ちついていい気持がするので、試しに代価を聞いてみると七拾銭だという。それを買う事にして、そして前の欠けた壷と二つを持って帰ろうとするが、主人はそれでも承知してくれない。もしその欠けたのの特別な色合でも何か調べる必要があるのなら持って行ってもいいが、もう一つ欠けないのもぜひ持って行けというのである。
 それでは私が困るからと云ってみたが、「いえ、とんでもない事です」と云ってなかなか聞き入れてはくれない。
 結局私は白い花瓶と、こわれない別の青い壷との二点をさげておめおめと帰って来た。
 主人は二つの品を丁寧に新聞紙で包んでくれて、そしてその安全な持ち方までちゃんと教えてくれた。私はすっかり弱ってしまって、丁度|悪戯《いたずら》をしてつかまった子供のような意気地のない心持になって、主人の云うがままになって引き下がる外はなかったのである。
 帰る途中で何だか少し落着かない妙な気がした。軽い負債でも背負わされたような気がしてあまり愉快でなかった。一体これはどうすれば善かったのだろう。代価を強《し》いて取らせて破片だけを持って帰るのもあまりにぎごちない窮屈な気がする。二個分の代価を払って、破片と、そうして破《わ》れないもう一つをさげて来るのも何だか殊更で、そこに説明の出来ない無理があるように思われる。それかと云って自分のした事はどうしても正当ではない。
 仮りにこれが五拾銭でなくて五拾円か五百円の壷であったら、どうだろうという事を、いささか臆病な心持で考えてみた。理窟は同じでも、実際は少しちがうような気がした。この方だと却って事柄がずっと簡単にはこびそうな気もした。正当不正当の問題が、他の利害の問題のために蝕《おか》されて変って来そうに思われたのである。この現在の場合はどうでもいいとしたところで、逆に吾々が何か重大な問題にぶつかった場合に、それを、本質的にそれと同様な、しかし通例|些細《ささい》なと考えられる問題に「翻訳」して考えてみなければならない場合も随分ありはしまいか、そうしてみて始めて問題が正当な光に照らされるような事がありはしまいか。こんな事も思ってみたのである。
 ドイツの下宿屋で、室に備え付けの洗面鉢を過《あやま》ってこわしたある
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