森の中に沼がある。大きな白樺が五、六本折れ重なって倒れたまま朽ちかかっている。朽木の香があたりに立ち籠めている。
 遠くで角笛《つのぶえ》の音がする。やがて犬の吠声、駒の蹄《ひづめ》の音が聞えて、それがだんだんに近付いて来る。汀《みぎわ》の草の中から鳥が飛び立って樹立《こだち》の闇へ消えて行く。
 猟の群が現われる。赤い服、白い袴、黒い長靴の騎手の姿が樹の間を縫うて嵐のように通り過ぎる。群を離れた犬が一疋汀へ飛んで来て草の間を嗅いでいたが、笛の音が響くと弾かれたように駆け出して群の後を追う。
 猟の群が通り過ぎると、ひっそりする。沼の面が鏡のように静まる。
 いずこともなくニンフとパンの群が出て来る。眩しいような真昼の光の下に相《あい》角逐《かくちく》し、駈けり狂うて汀をめぐる。汀の草が踏みしだかれて時々水のしぶきが立つ。やがて狂い疲れて樹蔭や草原に眠ってしまう。草原に花をたずねて迷う蜂の唸りが聞える。
 日が陰って沼の面から薄糸のような靄《もや》が立ち始める。
 再び遠くから角笛の音、犬の遠吠えが聞えて来る。ニンフの群はもうどこへ行ったか影も見えない。[#地から1字上げ](大正
前へ 次へ
全4ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング