ブーメラング形の翼の胚芽《はいが》の代わりにもう日本語で羽根と名のつけられる程度のものが発生している。しかしまだ雌雄の区別が素人目《しろうとめ》にはどうも判然としない。よく見るとしっぽに近い背面の羽色に濃い黒みがかった縞《しま》の見えるのが雄らしく思われるだけである。あひるの場合でもやはりいわゆる年ごろにならないと、雌雄の差による内分泌の分化が起こらないために、その性的差別に相当する外貌上《がいぼうじょう》の区別が判然と分化しないものと見える。それだのに体量だけはわずかの間に莫大《ばくだい》な増加を見せて、今では白の母鳥のほうがかえってひなの中の大柄なのよりはずっと小さく見えるくらいであった。一方で例のドンファンの雄鳥はと見るとなんとなく羽色がやつれたようで、首のまわりのあの美しい黒い輪も所まだらにはげちょろけているのであった。なんだか急に年を取ったように見える。こうした変化がたった二週間ばかりの間に起こったのである。浦島《うらしま》の物語の小さなひな形のようなものかもしれない。
植物の世界にも去年と比べて著しく相違が見えた。何よりもことしは時候が著しくおくれているらしく思われた。たとえば去年は八月半ばにたくさん咲いていた釣舟草《つりふねそう》がことしの同じころにはいくらも見つからなかった。そうして九月上旬にもう一度行ったときに、温泉前の渓流《けいりゅう》の向こう側の林間軌道を歩いていたらそこの道ばたにこの花がたくさん咲き乱れているのを発見した。
星野《ほしの》滞在中に一日|小諸城趾《こもろじょうし》を見物に行った。城の大手門を見込んでちょっとした坂を下って行くのであるが、こうした地形に拠《よ》った城は存外珍しいのではないかと思う。
藤村庵《とうそんあん》というのがあって、そこには藤村氏の筆跡が壁に掛け並べてあったり、藤村文献目録なども備えてある。現に生きて活動している文人にゆかりのある家をこういうふうにしてあたかも古人の遺跡のように仕立ててあるのもやはりちょっと珍しいような気がする。
天守台跡に上っているとどこかでからすの鳴いているのが「アベバ、アベバ」と聞こえる。こういうからすの声もめったに聞いたことがないような気がした。石崖《いしがけ》の上の端近く、一高の学生が一人あぐらをかいて上着を頭からすっぽりかぶって暑い日ざしをよけながら岩波文庫らしいものを読
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