でも言わば一つのオーケストラのようなものであってみれば、そのメンバーが堅い手首でめいめい勝手にはげしい轢音《れきおん》を放散しては困るであろうと思われる。悪く言えば「要領よくごまかす」というはなはだ不祥なことが、よく言えば一つの交響楽の演奏をするということにもなりうる。めいめいがソロをきかせるつもりでは成り立たないのである。
中学時代にはよく「おれは何々主義だ」と言って力こぶを入れることがはやった。かぼちゃを食わぬ主義や、いがくり頭で通す主義や、無帽主義などというのは愛嬌《あいきょう》もあるが、しかし他人の迷惑を考慮に入れない主義もあった。たとえば風呂《ふろ》に入らぬ主義などがそれである。年を取って後までも中学時代に仕入れたそういう種類の主義に義理を立てて忠実に守りつづけて来た人もまれにはあった。これらは珍しい手首の堅い人であろう。しかし手首の柔らかいということは無節操でもなければ卑屈な盲従でもない。自と他とが一つの有機体に結合することによってその結合に可能な最大の効率を上げ、それによって同時に自他二つながらの個性を発揚することでなければならない。
孔子《こうし》や釈迦《しゃか》や
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