晰なる判断を有する人々はかの学校の寄宿舎に於けるが如き口吻をもつて政界の腐敗を論ずることを当然止めなければならない。政治の腐敗は種々なる政治上の人物の徳不徳と何等の交渉もないのである。その原因は全く物質的のものなのである。「奪ふ者は与ふる者よりも幸福なり。」「安く買つて高く売れ。」「汚れたる一つの手は他の汚れたる手を洗ふ。」――政治とは畢竟《ひっきょう》かくの如き座右銘を有する実業界の反映に過ぎないのである。所謂選挙権を有する婦人と雖《いえど》もかゝる政治界を純清ならしむる希望は殆んど絶無なのである。
 解放は又男子と平等なる経済的独立を女子に与へた。即ち女子は各自の好む職業に従事することが出来るやうになつた。然しながら女子の過去並に現在の体力修練が男子に拮抗すべき必然力を充分具備して置かなかつたが為に、女子は屡々《しばしば》男子と同等なる市価を得んがためには全神経を緊張させ、全精力を消耗し尽さなければならない。結果は女子の不成効に終つてゐる。女教師、女医者、女弁護士、女建築家、女技師等は男子の競争者の如き信用と報酬とを得てはゐない。而《しか》して偶々《たまたま》その憧憬せる平等に達することを得るにしても一般に身体と精神の健全を犠牲としてゐるのである。かの大多数の婦人労働者の如き、家庭の狭隘と自由の欠乏とが只《た》だ工場、デパアトメントストア、事務所等に移されたるのみとすれば果してどれ程真の独立を得て居るであらうか。のみならず、終日の激しい労働の後、「ホーム、スヰートホーム」を求むる多数の婦人の上に冷やかにして気持悪く、不秩序にして快からざる家庭の重荷が背負はされるのである。光栄ある独立よ? 数百の少女が帳場、ミシン機械或はタイプライタアの後にかくれたる「独立」に痛み疲れて結婚の最初の申込をよろこんで承諾するは少しも怪しむにたらぬことである。彼等は親権の軛《くびき》を脱せんと欲する中流の少女の如く結婚を待ち望んでゐる。単に衣食の道を得せしむる所謂独立とはそのために凡てを犠牲にすることを婦人に期待する程理想的なものでもなく、又欽慕すべきものでもない。私等のあまりに高く賞めすぎる独立とは畢竟婦人の天性、愛の本能、及び母の本能等を鈍磨する方法に過ぎないのである。
 それにも関らず、少女労働者の位置はより多く教養を要する職業に従事する一見幸福なるが如く見ゆる姉妹の位置よりも
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