。振り返れば来る来る歩いて来た道も、堤から一二丁の間白く見えただけで、ひと曲りしてそれも丈の高い葦の間にかくされている。その道に沿うてただ一叢二叢僅かに聳えた木立が、そこのみが人里近いことを思わす[#「思わす」は底本では「思わず」]だけで、どこをどう見ても、底寒い死気が八方から迫ってくるような、引き入れられるような、陰気な心持を誘われるのであった。
 古河の町をはずれて、高い堤防の上から谷中村かと思われる沼地の中の道に踏み入ろうとして私はかつて人の話に聞いて勝手に想像していた谷中村というものとは、あまりの相違にすべての自分の想像から持っている期待の取捨に迷いながら、やっとこの土手まで来たのであった。先刻道を聞いた時、橋番がいっていたように、なるほど廃村谷中の跡はここから一と目に見渡せるのであった。しかも見渡した景色は、瞬間に、私の及びもつかない想像をも期待をも押し退けた。それはここまでのみちすがらにさんざん私を悩ました、あの人気のない、落莫とした、取りつき端のないような景色よりも、更に思いがけないものだった。
「まあひどい!」
 そういったなりで、後の言葉がつづかなかった。ひどい! という言葉も、私が今一度に感じた複雑な感じのほんの隅っこの切れっぱしにすぎないとしか思えないような、不満な思いがするのであった。冬ではあるが、それでも、こうして立っている足元から前に拡がったこの広大な地に、目の届く処にせめて、一本の生々とした木なり草なり生えてでもいることか、ただもう生気を失って風にもまれる枯れ葦ばかり、虫一匹生きていそうなけはいさえもない。ましてこの沼地のどこに人が住んでいるのだなどと思えよう?
 案内役になった連れの男はさっさと歩いていく。どこをどう行くのかも分らずに、ついていくのに不安を感じては私は聞いた。
「谷中の人達の住んでいる処まではまだよほどあるのですか?」
「そうですね、この土手をずっとゆくのです。一里か一里半もありますかね。」
 道は幅も広く平らだった。しかし、この道をもう一里半も歩かなければならないということは私にはかなり思いがけもないつらいことだった。ことに帰りもあるのに、この人里離れた処では乗物などの便宜のないというわかり切ったことがむやみに心細くなりだした。それでもこの雪もよいの寒空に自分から進んで、山岡までも引っぱって出かけて来ておいて、まさかそのようなことまでも、口へ出してはいいかねて黙って歩いた。
「こうして見ると広い土地だね、荒れていることもずいぶん荒れてるけれど、これで人が住んでいた村のあとだとはちょっと思えないね。」
「本当にね。ずいぶんひどい荒れ方だわ。こんなにもなるものですかねえ。」
「ああ、なるだろうね、もうずいぶん長い間の事だから。しかし、こんなにひどくなっていようとは思わなかったね。なんでも、ここは実にいい土地だったんだそうだよ。田でも畑でも肥料などは施らなくても、普通より多く収穫があるくらいだった、というからね。ごらん、そら、そこらの土を見たって、真黒ないい土らしいじゃないか。」
「そういえばそうね。」
 私は土手を匐うように低く生えた笹の葉の緑色を珍らしく見ながらそういった。この先の見透しもつかないような広い土地――今はこうして枯れ葦に領されたこの広い土地――に、かつてはどれだけの生きものがはぐくまれたであろう。人も草木も鳥も虫もすべての者が。だが、今はそれ等のすべてが奪われてしまったのだ。そして土地は衰え果ててもとのままに横たわっている。
「なぜこのように広い、その豊饒な土地をこんなに惨めに殺したものだろう?」
 もとのままの土地ならば、この広い土地いっぱいに、春が来れば菜の花が咲きこぼれるのであろう。麦も青く芽ぐむに相違ない。秋になれば稲の穂が豊かな実りを見せるに相違ない。そうしてすべての生きものは、しあわせな朝夕をこの土地で送れるのだ。それだのに、何故、その豊かな土地を、わざわざ多くの金をかけて、人手を借りて、こんな廃地にしなければならなかったのだろう?
 それは、私がこの土地のことについての話を聞いた最初に持った疑問であった。そして、私はその疑問に対する多くの答を聞いている。しかし現在この広い土地を見ては、やはり、そのような答えよりも最初の疑問がまず頭をもたげ出すのであった。
 歩いていく土手の道の内側の処々に、土手と並んで僅かな畑がある。先に歩いていく男は振り返りながら、
「こういう処はもと人家のあった跡なのですよ。」
 と思い出したように教えてくれる。もとは、この土地に住んでいた村民の一人だというその男は、この情ないような居村の跡に対しても、別段に何の感じもそそられないような無神経な顔をして、ずっと前にこの土地の問題が世間にかれこれいわれた時のことなどをポツリポツリ話しているのであった。そして、それもかつての自分達のことを話しているというよりは、まるで他人の身の上の事でも話しているような無関心な態度を、私は不思議な気持で見ていた。彼は惨苦のうちにこの土地に未練をもって、今もなお池の中に住んでいる少数の人達に対しても、冷淡な侮蔑を躊躇なく現わすのであった。
「ずっと向うにちょっとした木立がありますね。ええずっと遠くの方に、今煙が見えるでしょう? あの少し左へよった処に、やはり木の茂った処が見えますね、あれがSの家です。まだ大分ありますよ。」
 指さされた遙かな方に、ようやくのことで小さな木立が見出された。細い貧し気な煙も見える。私と山岡が、今尋ねて行こうとしている人達の住居はそこなのだった。連れの男は折々立ち止まっては、おくれる私達を待つようにして、一言二言話しかけてはまた先にずんずん歩いていく。道に添うて、先刻はただ一と目に広く大きいままに見た景色の中につつまれた、小さな一つ一つのみじめな景色が順々にむき出しにされて私達を迎える。いつか土手に添うた畑地はなくなって、土手のすぐ下の沿岸の、疎らになった葦間に、みすぼらしい小舟がつなぎもせずに乗り捨ててあったり、破れた舟が置きざりにされてあると見てゆくうちに、人の背丈の半ばにも及ばないような低い、竹とむしろでようやくに小屋の形をしたものが、腐れかかって残っていたりする、長い堤防は人気のない沼の中をうねり曲って、どこまでも続いている。
 山岡は乾いた道にステッキを強くつきあてては高い音をさせながら、十四五年も前にこの土地の問題について世間で騒いだ時分の話や、知人のだれかれがこの村のために働いた話をしながら歩いていく。
「今じゃみんな忘れたような顔をしているけれど、その時分には大変だったさ。それに何の問題でもそうだが、あの問題もやはりいろんな人間のためにずいぶん利用されたもんだ。あのTという爺さんがまた非常に人が好いんだよ。それにもう死ぬ少し前なんかにはすっかり耄碌して意気地がなくなって、僕なんか会ってても厭になっちゃったがね。少し同情するようなことをいう人があるとすっかり信じてしまうんだよ。それでずいぶんいい加減に担がれたんだろう。」
「そうですってね。でも、死ぬ時には村の人にそういってたじゃありませんか。誰も他をあてにしちゃいけないって。しまいにはこりたんでしょうね。」
「そりゃそうだろう。」
「だけど、人間の同情なんてものは、全く長続きはしないものなのね。もっとも各自に自分の生活の方が忙しいから仕方はないけれど。でも、この土地だって、そのくらいにみんなの同情が集まっている時に、何とか思い切った方法をとっていれば、どうにか途はついたのかもしれないのね。」
「ああ、これでやはり時機というものは大切なもんだよ。ここだってむしろ[#「むしろ」に傍点]旗をたてて騒いだ時に、その勢でもっと思い切って一気にやってしまわなかったのは嘘だよ。こう長引いちゃ、どうしたって、こういう最後になることは解り切っているのだからね。」
 けれどとにかく世間で問題にして騒いだ時には、多くの人に涙をわかされた土地なのに、それが何故に何の効果も見せずに、こうした結末に来たのだろう? よそ事としての同情なら続くはずもないかもしれない。しかし、一度はそれを自分の問題として寝食を忘れてもつくした人が、もう思い出して見ないというようなことが、どうしてあり得るのであろう? 私はこの景色を前にして、色々な過ぎ去った話を聞いていると、最初に私が、その事件に対して持った不平や疑問が、新たにまき返ってくるのであった。

        三

 私が初めてその谷中村という名を聞き、その事件について知り得たのは、三年か四年も前のことだ。その頃私の家に一番親しく出入していたM夫妻によって、初めて私はかなりくわしく話して聞かされた。
 ある日――それはたしか一月の寒い日だったと覚えている――M夫妻は、いつになく沈んだしかしどこか緊張した顔をして門をはいってきた。上がるとすぐ例のとおりに子供を抱き上げてあやしながら、ひとしきりよろこばしておいて、思い出したように傍にいた私に、明日から二三日他へゆくかもしれないといった。
「何方へ?」
 何気なしに私はそう尋ねた。
「え、実は谷中村までちょっと行ってきたいと思うのです。」
「谷中村って何処なんです。」
「ご存じありませんか、栃木ですがね。例の鉱毒問題のあの谷中ですよ。」
「へえ、私ちっとも知りませんわ、その鉱毒問題というのも――」
「ああそうでしょうね、あなたはまだ若いんだから。」
 そう云ってM氏は妻君と顔見合わせてちょっと笑ってからいった。
「T翁という名前くらいはご存じでしょう?」
「ええ、知ってますわ。」
「あの人が熱心に奔走した事件なんです。その事件で問題になった土地なんです。」
「ああそうですか。」
 私にもそういわれれば何かの書いたものでT翁という人は知っていた。義人とまでいわれたその老翁が、何かある村のために尽したのだということも朧ろ気ながら知っている。しかしそれ以上のくわしい事は何も知らなかった。
「実は今日その村の人が来ましてね、いろいろ話を聞いてみると実にひどいんです。何だか、とてもじっとしてはいられないので一つ出かけて行って見ようと思うのです。」
 M氏は急に、恐ろしく興奮した顔つきをして、突然にそういって黙った。私には何の事だかいっさい分らなかったけれど、不断何事にも真面目なM氏のひと通りのことではないような話の調子に、まるで外れているのも済まぬような気がして、さぐるようにして聞いた。
「その村に、何かあったのですか?」
「実はその村の人たちが水浸りになって死にそうなんです。水責めに遇っているのですよ。」
「え、どうしてですか?」
「話が少しあとさきになりますが、谷中村というものは、今日ではもうないことになっているんです。旧谷中村は全部堤防で囲まれた貯水池になっているんです。いいかげんな話では解らないでしょうけれど。」
 こういってM氏はまず鉱毒問題というものから話しはじめた。
 谷中村は栃木県の最南端の、茨城と群馬と接近した土地で、渡良瀬という利根の支流の沿岸の村なのであるが、その渡良瀬の水源が足尾の銅山地方にあるので、銅山の鉱毒が渡良瀬川に流れ込んで、沿岸の土地に非常な被害を及ぼした事がある。それが問題となって、長い間物議の種になっていたが、政府の仲介で鉱業主と被害民の間に妥協が成立して、ひとまずそれは片附いたのだ。しかし水源地の銅山の樹が濫伐されたために、年々洪水の被害が絶えないのと、その洪水のたびに、やはり鉱毒が濁水と一緒に流れ込んでくるので、鉱毒問題の余炎がとかく上りやすいので、政府ではその禍根を絶つことに腐心した。
 水害の原因が水源地の濫伐にあることは勿論であるが、栃木、群馬、茨城、埼玉等の諸県にまたがるこの被害のもう一つの原因は、利根の河水の停滞ということにもあった。本流の河水の停滞は支流の渡良瀬、思等の逆流となって、その辺の低地一帯の氾濫となるのであった。そこでその河水の停滞をのぞくために、河底をさらえるということ、その逆流を緩和さすための貯水池をつくることが最善の方法として選
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