社会主義者として敬意を払われた人である。創作家としても、その人道的な熱と情緒によって多くの読者を引きつけた人である。
「へえ、Kさん? ああいう人でも――」
私は呆れていった。
「Kさんも、前とはよはど違っていますからねえ。しかしKさんばかりじゃない、皆がそうなんです。要するに、もうずいぶん長い間どうすることもできなかったくらいですから、この場合になっても、どう手の出しようもないから、まあ黙って見ているより仕方はあるまいというのがみんなの考えらしいんです。しかし。」
M氏はいったん言葉を区切ってからいった。手の出しようのないのは事実だ。今まで十年もの間苦しみながら、しがみついて残っていた土地から、今になってどうして離れられよう、という村民の突きつめた気持に同情すれば溺れ死のうという決心にも同意しなければならぬ。といって手を束ねてどうして見ていられよう! けれど、事実の上ではやはり黙って見ているより他はないのだ。しかし、どうしても自分は考えてみるだけでも忍びない。この自分の気持を少しでも慰めたい。せめて、その人達と暫くの間でもその惨めな生活を共にして、その人達の苦しみを自分の苦しみとして、もし幾分でも慰められるものなら慰めたいというようなことを、センティメンタルな調子でいった。
私もいつか引込まれて暗い気持に襲われ出した。しかし私には、どうしても、「手の出しようがない」ということが腑に落ちなかった。とに角幾十人かの生死にかかわる悲惨事ではないか。何故に犬一匹の生命にも無関心ではいられない世間の人達の良心は、平気でそれを見のがせるのであろうか。手を出した結果が、どうあろうと、のばせるだけはのばすべきものではあるまいか。人達の心持は「手の出しようがない」のではない「手を出したってつまらない」というのであろう。
「ではもう、どうにも手の出しようはないというのですね。本当に採って見る何の手段もないのでしょうか?」
「まあそうですね、もうこの場合になってはちょっとどうすることもできませんね。」
しかし、結果はどうとしても、何とかみんなの注意を引くことくらいできそうなものだ、と私は思うのであった。こういうことを、いくら古い問題だからといって、知らぬ顔をしているのはひどい、私はM氏の話に感ずるあきたらなさを考え詰める程、だんだんにある憤激と焦慮が身内に湧き上がってくるのを感ずるのであった。
「Sという人は、K氏やH氏の処に、そのことで何か相談に来たんですか。」
今まで黙っていたTが突然に口を出した。
「ええ、まあそうなんです。しかし、村民もいまさら他からの救いをあてにしてるわけではないので、相談というのも、ほんの知らせかたがたの話に来たくらいのものなんですけれど、どうも話を聞いて見ると実に惨めなもんです。実際どうにかなるもんなら――」
M氏はそういって、どうにも手出しの出来ない事をもう一度述べてから、K氏のろくに相手にもならない心持は、多分、今当局に、他からいくら村民達の決心を呑み込ませようとしても無駄だから、やはりどこまでも、本人達によって示されなければ、手応えはあるまいということ、そうした場合になれば、ひとりでに世間の問題にもなるだろうという考えだろうと説明した。
「僕もそう思いますね。実際もう何とも仕方のない場合になってきているのですからねえ。」
Tは冷淡な調子で、もうそんな話は片付けようとするようにいった。
四
けれど、私はそれなりで話を打ち切ってしまうには、あまりにその話に興奮させられていた。私はできるだけ、その可愛想な村民達の生活を知ろうとして、M氏に根掘り葉掘り聞き始めた。
彼等の生活は、私の想像にも及ばない惨めさであった。わずかに小高くなった堤防のまわりの空地、自分達の小屋のまわりなどを畑にして耕したり、川魚をとって近くの町に売りに出たりしてようやくに暮らしているのであった。そればかりか、とてもそのくらいのことではどうする事もできないので、貯水池の工事の日傭いになって働いて、ようやく暮している人さえあるのであった。その上にマッチ一つ買うにも、二里近くの道をゆかなければならないような、人里離れた処で、彼等の小屋の中は、まっすぐに立って歩くこともできないような窮屈な不完全なものであった。
「よくまあ、そんなくらしを十年も続けてきたものですねえ。で、その他の、買収に応じて他へ立ち退いた人達はどうなっているんです?」
私の頭の中では聞いてゆく事実と、私の感情が、いくつもいくつもこんぐらがっていっぱいになっていた。しかし、そのもつれから起こってくる焦慮に追っかけられながらも、なお聞くだけのことは聞いてしまおうとして尋ねるのであった。
「ええ、その人達がまたやはり、お話にならないような難儀をしている
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