して立派に新らしい谷中村を建てればいいんだ。その意気地もなしに、本当に死ぬ決心ができるものか。お前はあんまりセンティメンタルに考え過ぎているのだよ。明日になって考えてごらん、きっと今自分で考えていることが馬鹿々々しくなるから。」
けれど、この言葉は、私にはあまりに酷な言葉だった。
私がいま、できるだけ正直で善良で可愛想な人達として考えている人々の間に、そんな卑劣なことが考えられているのだというようなことを、どうして思えよう!
だが私はまた、「その善良な人達が何でそんなことを考えるものですか」とすぐに押し返していう程にも、そのことを否定してしまうことはできなかった。
けれど、なお私は争った。
この可愛想な人達の「死ぬ」という決心が、よしTのいうように面当てであろうと、脅かしであろうと、どうして私はそれを咎めよう。もしそれが本当に卑劣な心からであっても、そんなに卑劣には何がしたのだろう?
自分の力でたつ事が出来ないものは、亡びてしまうより他に仕方がない。そうして自から、その自分を死地に堕す処に思いきり悪く居残っているものが亡びるのは当然のことだ。それに誰が異議をいおう。だのに、私はなぜその当然のことに楯つこうとするのだろう?
私はそこに何かを見出さなければならないと思いあせりながら、果しもない、種々な考えの中になにも捕捉しえずに、何となく長い考えのつながりのひまひまに襲われる、漠然とした悲しみに、床についても、とうとう三時を打つ頃まで私の目はハッキリ灯を見つめていた。
五
次の日も、その次の日も、当座は毎日のように、私は目前に迫った仕事のひまひまには、黙って一人きりでその問題について考えていた。Tのいったことも、漸次に、何の不平もなしに真実に受け容れる事ができてきはしたけれど、最初からの私自身が受けた感じの上には何の響きもこなかった。
Tの理屈は正しい。私はそれを理解することはできる。しかし、私にはその理屈より他に、その理屈で流してしまうことのできない、事実に対する感じが生きている。私はそれをTのように単に幼稚なセンティメンタリズムとして、無雑作に軽蔑することもできないし、無視することもできないのだ。
私がたまたま聞いた一つの事実は、広い世の中の一隅における、ほんの一小部分の出来事に過ぎないのだ。もっともっと酷い不公平を受けている
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