は私との結婚後少ししてからだんだんに広がりはじめたのです。
 ちょうどその時分文壇思想界は個人主義思想の最も高調されている時分でした。彼のエゴイスティックな傾向は、極端な個人主義の理屈といっしょになってだんだんに深味にはいってきたのです。
 私もやはりその思想に育てられたのです。私の属していた青鞜社の人々の思想もそれでした。私共の主張は個人の自由を要求する事でした。しかもこの主張に関しての実際の大きな運動を起こすには各々の個人がもっと完成されなければならないというのでした。私共は実際にいくらかの対社会的な運動をしながらもなおかつ、それよりも各自の自己完成を一義としていたくらいでした。
 当時青鞜社同人の名前はかなりよく世間の人に知られていました。そして女という物珍らしさから、よく他の新聞や雑誌に名前を出すことがありました。機関誌の「青鞜」ではない、他の雑誌にちょいちょい名前が出るようになった頃から、私は何となく皮肉な成行きを気にするようになりました。 
 本当にまだ無力な幼稚な自分の名があまりに世間的に知られる事が恐いのと同時に、なぜ充分に認められてもいいTが認められないのかという事が
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