くなりました。けれども一方には、みんなそれぞれのパアトナアを持って生活しているのです。そして第二の、現在の生活から私の学んだものは、たとえ結婚した男と女との間にしてもお互いの生活に立ち入らない事がいちばん必要だという事です。他の人々よりは愛し合うからといってお互いの生活に立ち入り勝手という法はありません。私共は深く理解し合うと同時に、その自由はあくまで尊重しなければなりません。all or nothing という事は一時よくいわれていましたが、これは最も利己的な考え方です。それは人間に無理に重荷を背負わせ、また苦しめるものです。
私共は、いつも私共自身でなければなりません。久しい因習は男が女を所有するというような事を平気にしています。女もまたこの頃の新しい思想に育てられた人々でさえも、自分の気に入った男でさえあれば、よろこんで所有されます。これは恥ずべき事です。
婦人の自覚という言葉もずいぶんいい古されました。婦人運動の初期にあってはこの自覚という言葉は、ただ結婚の際に親権に反抗する事にのみ用いられたといっても過言ではないような事実を示しました。そして今もやはりその続きです。
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