にこたえ、考えが一つ一つ自分だけの考えになってきたのは、子供を生んでからでした。子供が出来てからようやく私は一人前になったのです。私は子供がどんなに可愛かったかしれません。そして子供の母親として観、子供の母親として考えるすべての事は以前とはだんだんちがってきました。
 彼の頑固なまでの利己的態度をはっきり見得るようになったのはその子供に対する態度からでした。私は子供が少しずつ育ってくるにつれて、彼にはとうてい頼れないと思ったのでした。自分がどんなに無力であるかを考えると私は心細くてたまりませんでした。しかし子供を持った三十を越した男が、今もまだ、自分が何をしていいか分らないといって手をこまねいているのを見ると情なくもなりましたが、どうかして自分がしっかりしなくてはならないのだという心持に鞭韃されるのでした。
 私のこの心持が強くなってくると同時にTの心持はますます隠遁的になってくるのでした。彼は家の中の、私と母との間のちょっとした感情のこじれやその他のチョッとした事にも、自分が口を出すことを厭がるようにまでなったのです。それでも、私はまだ、彼と別れようなどと思ったことはなかったのでした。また、彼の利己主義に絶望してはいませんでした。私もまたそれに同感していました。
 けれども、私の日常生活においては、彼との距離はだんだん遠くなってきました。私は子供を抱えていると、世間に対してはだんだん積極的な心持になってくるのでした。そしてこの私共が相反した道に進むのと同じに、母のTに対する不満もだんだんにひどくなってき、それが私にも及ぶようになってきたのです。私共一家の者の心持はみんなそれぞれに別になってきました。
 Tの心持がますます隠遁的になり、母の気持が露骨になるにつれて、私は時々、ひとりの生活を夢想するようになりました。私はその時分から、自分の結婚を悔やむような心持になりかかっていたのでした。そしてこの心持はTがたよりないと思うほどつのってくるのでした。どうかすると、私は家の中に満ちている不快からいっぺんに解放されるためにはどうかしてひとりになろうというつきつめた心持から子供を背負って出て見た事もあったくらいです。
 しかし、私をこうした心持に導くのもいつも子供でしたが、この心持を抑えるのも不思議にまた子供だったのです。それと、もう一つはTのあの深いメランコリアです。私は彼がその深い憂鬱に捉えられた時の顔は思い出すだけでも憎しみを感ずるほど、苦悩を刻み出します。私は私の去った暗い家の中にその顔を想像する恐ろしさに堪え得られないのです。
 けれども私は幾度決心したかしれませんでした。一度独りの生活を思いますと、事につけ折にふれてその夢想が浮かんでくるのでした。そしてまた、その考えを助けるような事柄ばかりが非常によく見えるようになってきたのでした。そして事実について考えるとき、私の頭はもうTのそれからはまったく独立していたのでした。

 何事につけても不如意な私の生活は、思うように勉強をすることももちろん出来ませんでした。私は自分が独立するにしても、やはりどうかして、自分の筆をたよりにするよりしかたがなかったのです。が、それも私には自分の無力を思うと恐ろしかったのです。そしてそれにつけてもどうかして私は必要な勉強だけはしてゆきたいと思いました。そして読書はどんな忙しい中にでも止めませんでした。
 私が独立しようと思い立った時分から、私のすべての事に対する考えはよほど積極的になってきました。戦わねばならぬ、という事がいつも私の気を引き立てました。そして、この私の積極的な気持から、私の対社会的な考えが一変したのです。そしてこの考えは、ある時Tの主我的な考えとかなり激しくぶっつかり合いました。私はそこにますますTとの相違をはっきり見たのでした。
 例えば、ある注意すべき事件が持ち上がりました。それは現在の社会の欠陥なり不徳なりを充分露骨に現わしているとします。私はそれに対してすぐに心からの憤りを感じます。そしてたとえ自分の力がどれほど微弱なものであるとしても、その不法に対してブツかって行きたいという衝動を感じます。どうしても怒らずにはいられないのです。しかしTはちがいます。彼はそんな事が在るは当然の事として、それが自分の力でどうなるのだ、といって平気で見のがす事が出来るのです。自分が馬鹿な目に会わないようにすることだ。こういいます。可哀そうな目に会う奴は、それだけの力しか持たないからだ。自分を保てないからだ、といいます。弱い奴が強い奴に負けるのはあたり前だといいます。
 私はTを充分理解し肯定しながらも自分の考えをそこに持ってゆくことは出来ませんでした。やがて私の考えは、だんだんにTと自分との差異の点にばかりこだわるようになりました。
 こう
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