Tと憎み合いにらみ合って暮らさなければならない日がくるかもしれないという事を考えずにはいられませんでした。世間にはずいぶんそんな夫婦がたくさんありますから。けれどもこんな両親がどうして子供の幸福の対象になりましょう。子供等はかえってそんな事には敏感で悲しい場合が多いと私は思います。そしてまた、よく子供のためにいいとか悪いとかいいますが、何が果たして幸福であり何が不幸になるか、容易に他から差し出てきめる事は出来ないと思います。私は子供を見棄てたというのでずいぶん非難されました。しかし、私はそんな事を非難する人は本当にどれほど母親が子供を愛するかを充分に考え得ない人だと思います。私には、たとえどれほどの気強さを持っても打ち克つことの出来ない愛に苦しめられている母親をその上まだ鞭打つなどという事は出来ません。
どんなに子供には気の毒な事でも可愛想な事であっても、私はTとは離婚しなければならなかったのです。私の別れなければならない理由は明白であり正しいものであると信じる事が出来る以上は、私は正しく行動します。子供は事理をわきまえる事が出来るようになれば理解してくれるに違いないのです。私達が親子であることを妨げられない以上は、私達は必ず話し合い理解し合うことが出来るのです。私はそれを信じています。しかしまたよし理解しなかったとしても、してくれないとしても、それまでです。私は私の生活をよりよくしてきた事に充分満足する事が出来ますから。それに子供は子供で自分の生活を持っています。もしも子供から恨まれる事があっても、私は自分が子供の犠牲になって一生を無意味に送って子供の過重な荷厄介になって持てあまされるよりははるかにいい事だと思っています。
Tと私との最後は、私が自分で計画したように自然にはゆきませんでした。幸か不幸かちょうどそのとき私はOにぶつかったのです。
私はもしOの愛をすぐに受け入れるような事があれば、Tとの間にせっかく自然にはこびかけた相談がこんぐらがるばかりでなく、世間からはきっとOの愛を得たがためにTを捨てたといわれるだろう。という事が私にはたまらなくいやでした。が私のOに対する気持はかなり卒直なものでした。
私は永い間Oに会いもせず何の返事もしないでいました。私の対世間的な見栄と、その見栄に打ち克とうとする他の卒直な気持との争いでありました。私はやはり自分の
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