して私の心持が進んでいるうちにも私はまた第二の子供を生むようになりました。しかし、私共の生活はちっとも幸福ではありませんでした。二人目の子供が生まれてからは私共には面白くない日の方が多かったのです。私は子供の世話、家の中のすべての仕事、それにたべる心配から、自分の勉強、仕事とおっかけられるように忙しい生活をしていたのです。
 そうしていながらも、私の心にだんだんに食い込んでくる考えは、Tが何のたよりにもならない事と、今自身の生活を変えなければもう一生重荷を背負って苦しまなければならぬという事でした。二人目の子供が生まれてからは私の家は私には一日一日に重さを増していく重荷でした。私が自分の境遇を悲しむときには、Tも間違いなく私の重荷でした。子供は、私には重荷であっても自分の背負わねばならぬ重荷とあきらめていました。しかしその他のいっさいのものはみんな私には日増しに重くなりました。
 私は時々自分の年を考えてみます。二人目の子供を生んだ時、私は廿一だったのです。まだほんとうの勉強ざかりの年なんです。私は情なくなりました。何という馬鹿な目に会ったもんだろう、としみじみ思いました。
 出よう、家をはなれよう、とどれほど思ったかしれません。けれども家の中の事はみんな私の手をまつことばかりで、いつにもぬけようはありません。
 でも、私はとうとう決心したのです。そしてずいぶんひたむきにもなれるくせに気の弱い私は、母に一時だけ子供をつれて田舎にひとりで行かして貰いたいと切り出したのです。そしてTには自分の生活をもっと正しくするために少し考えたいから、とにかくしばらく別れてみたいといったのでした。そして双方から承諾を受けたのです。そして私はその準備をするために働いていました。
 私達はいつでも、嫌になったら離婚をする事を原則としてくらしていました。けれども、それは周囲のいろんな係累に妨げられて、容易に実行の出来る事ではないのでした。それでも、私はとうとうそこまで漕ぎつけてきました。ずいぶん長い間を考えて考え抜いたあげくにようようそこまでの決心が出来たのです。
 もちろん、子供の事にも私はかなり苦しめられてきたのでした。私共の離婚が子供にどんな不幸を持ってくるか、という事もずいぶん真剣になって考えてみました。しかし、私はもし私がこれ以上辛抱してこの境遇にいれば、もっと時が重なってくると
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