試みをしたというような、どこか快い気持等はまるで失くなってただ暗い気持ちになって、また父の傍に泣いて帰って行こうかというような気になったり、また、いっそう深く考えを進めると、もう死を願うより他仕方がないとさえ思う日もあった。
志保子は注意ぶかく登志子の様子を観ていた。彼女は登志子が夕方など沈んだ目付をして縁側にボンヤリ立っていた夜は、きっと近所の子供を集めて騒がしたりして登志子の気持ちをまぎらすようにつとめた。しかしそういう時にかぎって彼女は、さらに、深い、いうにいえない寂しさ遣瀬なさに悩むのであった。そうしては志保子の美しい澄んだ目にはっきり浮かぶ、優しい暖かい友情にしみじみ泣いた。
どうかして志保子の帰りの遅い時には、登志子は二度も三度も門を出てはすぐそこに見える学校の屋根ばかり眺めていた。黄色な菜の花の間に長々とうねった白い道を見ていると、遠いその果もわからない道がいろいろなことを思わせて、つい涙ぐまれるのであった。前を通る人達は見なれぬ登志子の悄然と立った姿をふしぎそうにふり返って見て行く。そんな時登志子は、もう本当に遠い遠い知らない所にたった一人でつきはなされたような気がして拭いても拭いても涙が湧いてきて、立っていられなくなってくる。燈をつけても燈の色までが恐ろしく情ない色に見えた。読む書物をもって出なかったことがしきりに悔いられた。うすらかなしい燈の色を見つめながら、彼女はいつも目をぬらして友達を待った。それでもなお悲しい心細い考えが進もうとする時は、彼女はのがれる時に持って出た光郎の手紙を開いて読んでは紛らした。そうして心弱い自分の気持ちをいくらかずつ引きたてるのだった。
今朝も志保子が出て行った後で登志子は考えることより他に何にもすることがなかった。本当に、いつまでも志保子の世話になってここにいる訳にはいかない、ということが第一に毎日登志子の頭に上ってくるのだ。が今どうするにしても金の問題だ。登志子は初め帰ったとき予め自分の考えをもしかして実行する時の用意に、十円近くの金を懐にしていた。しかしその金は七十日近くブラブラしているうちに、なにかと半分以上も使ってしまった。しかもそういう予期を持ちながらいよいよ出てくるときは不用意に、フラフラと出てしまった。着更えの着物を持たず金を用意するひまもなくついと出てしまった。福岡まで出てきて、叔母の家へも友達の家へも足りない金の算段をするつもりで訪ねた。しかしとうとういい出し得ずに止めてしまった。金が出来ないといって夜になって再び家へフラリと帰りたくはない。帰って帰れないことはないが、もう一度出たものを帰る気はどうしてもない。仕方なしに三池の叔母の家まで行った。そこでもついに話し得ずに、そして家出したことが知れそうになって思案にあまってこの友達の家まで来た。手紙を出して頼んだら応じてくれる当てのある人が二三人はある。その人に相談する間も、見つけ出されて連れかえられそうな所はいやだと思って志保子をたよった。しかし一週間になるけれどもどこからも返事は来ない。たのんだ金が出来ないとしてもそのままではいられない。どうしたらいいのだろう。そう考えてくると登志子はもう今日までただイライラして、もう、どうなってもいい、なるようにしかならないのだ、いっそ堕ちられるだけどん底まで堕ちていって、この目覚めかかった自我を激しい眩惑になげ込んで生きられるだけ烈しい強い、悲痛な生き方をしてみたい。あの生命がけでその日その日を生きていく炭坑の坑夫のようなつきつめた、あの痛烈な、むき出しな、あんな生き方が自分にもできるのなら、こんなめそめそした上品ぶった狭いケチな生き方よりどのくらい気が利いているかしれない。いっそもう、親も兄妹も皆捨てた体だ、堕ちる体ならあの程度まで思いきってどん底まで堕ちてみたいというような、ピンと張った恐ろしく鳴りの高い調子な時もあるし、またもう自分の行く道は皆阻まれてしまったのだ、これから先苦しんで働いて見たところでやはり何にも大したこともできないし、自分でどうしても開かなければならないと信じてすべてのものに反抗して切開いた道の先は、まっくらでスにもない。自分を自由に扱うことのできるよろこびの快い気持に浸ったのは、このまま逃れようと決心した瞬間だけであった。今日まで一日だって明るい気持ちになったことはない。いつも忌々しいと思いながら、肉身というふしぎなきずなに締めつけられて暗い重くるしい気持ちがはなれない。自分ではいくらか上京したら光郎をたよるつもりでも、光郎の気持だってどちらを向くか分らない。考えると不安なことばかりだ。ああいやだどこか人の知らない所に行って静かな死にでものがれたい。どこへ向いて行っても行き止りは死だ。早かれ遅かれ死だもの。どうにでもなれというような気にも
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