き程の位置を得てゐるのでも解かる。彼は群衆心理の最悪なる要素を体現してゐる。彼は多数者が理想と純潔とを無視してゐるといふことをよく知りぬいてゐる政治家である。群衆の欲求するものは見世物である。それが犬芝居であらうが、懸賞決闘であらうが、黒奴の私刑《リンチ》であらうが、結婚披露であらうがかまはない。精神顛倒が恐しければ恐しい程、群衆の歓喜と称讚とが激烈になるのである。かくして貧弱なる理想と俗悪なる精神とを有するルウズヴエルトの如き人間が時代の寵児として名誉を博するに至るのである。
然るに一方にあつて、かくの如き政治上の小人の上に高く位する教養あり真に才能ある人々が懦夫《だふ》として嘲弄せられてゐる。現代を個人主義全盛の時代であると主張するが如きは極めて滑稽である。現代は歴史上に繰返される全ての現象中の最も有害なるものである。宗教と云はず、政治経済上の自由と云はず、人類の進歩に対する全ての努力は悉く少数者より発生するのである。而して今日に於てもなほ少数者はたへず誤解せられ、迫害せられ投獄せられ、或は殺戮せられてゐるではないか。
ナザレの叛逆者によつて説かれたる同胞主義はそれが少数者の光
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