が出来やう。私が改めて云ふまでもなくこれは社会党の主領もよく心得てゐることである。然しながら彼等の生活法が権力の永続を意味してゐるので、彼等は多数者の効力といふ神話を主張してゐる。如何にも、権力と強迫と従属とは群衆を基礎として成立せられてゐる。然しながらかの個人の自由を主張し得る自由なる社会の出現は到底望むことが出来ないのである。
 かく云ふ私は必ずしも地上の追放者と被圧制者に対する同情がないからではない。又彼等の送る生活が如何に悲惨であり、侮辱せられたるものであるかを知らないからではない。私は只だ善の創造力を欠如せるが故に群衆を唾棄するのである。否、否、私は只だ彼等が一団の群衆として何等の正義、平等をも代表し得ないことをあまりによく知りぬいてゐるから。彼等は人類の精神を圧服し、肉体を束縛した。群衆は人生を砂漠の如く単調灰色なるものと化さんことをのみ目的とする。彼等は常に独創と個人主義と自由思想の絶滅者である。『群衆は浅薄で不具で彼等の要求と勢力とは常に有害である。彼等に媚びる必要は決してない、彼等は只だ教育せらるべきである。私は群集に対して譲歩すべき何物も有してはゐない。私は彼等を訓練し、分離せしめて優秀なる個人を撰抜せんと欲するばかりである。群集! 彼等は禍なるかな。群衆は無用である。私は唯だ正直なる男子と美しく愛らしい賢婦人とを要求する。』とエマアソンは云つた。私はその言葉を彼と共に信ずる。
 言葉を換へて云へば、健全なる社会状態の幸福と真理とは唯だ賢明なる少数者の妥協せざる熱心と勇気と決断によつて実現せられるのである。



底本:「定本 伊藤野枝全集 第四巻 翻訳」學藝書林
   2000(平成12)年12月15日初版発行
※ルビを新仮名遣いとする扱いは、底本通りにしました。
入力:門田裕志
校正:Juki
2009年8月3日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全4ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
伊藤 野枝 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング