とか云はれて隔離されてゐると聞いた時に、私はひどく驚いたと。其の時私はそれをホテル・ド・ルウロオプで掛りの医者の態度と其の旧式な考へとに帰した。然るにプラウダ紙上の一論説と、私がマキシム・ゴルキイ、マダム・リリナや、其他の多くの共産主義の首領とした話で、彼等の殆どすべてが、『先天性の道徳的堕落』と云ふ事を信じてゐる事が分つた。
或る高い位置にゐる児童教育者でさへ、かうした『道徳的不具者』のために牢獄を設けると云ふ事に賛成してゐる。が、これは教育委員ルナチヤルスキイや、ゴルキイや、其の他の、正統派共産主義者からはセンテイメンタリストと看做《みな》されてゐる進歩的分子の人にとつては、あんまりひどい事だつた。ルナチヤルスキイは此の野蛮な提議と戦つて、幸に彼の方が勝つた。が、猶、一九二一年の終りにさへも、モスコオのタガンカ監獄には、二百人の少年がゐて其の中には八つになる子供がゐた。
ルナチヤルスキイもゴルキイもそれを知らないのだと云ふ事は確かだ。しかも此の知らないと云ふ事の中に悪事があるのだ。大勢の下役達がしてゐる事を上役の者が知る事が出来ないやうに出来てゐるのだ。タガンカ監獄にゐる子供達は、其処に送られた政治犯人によつて発見された。彼等はそれを外に居る友人達に知らせた。友人達はルナチヤルスキイと一緒に、それを問題にした。そして結局、子供達は監獄から出された。
五
だが、其の『道徳的不具者』のための学校や殖民地は監獄よりはもつとよくない。青年共産党の委員会で作つた調査は、それ等の学校の悲惨を訐《あば》いた。其の報告はペトログラアドで一九二〇年五月のプラウダに発表された。それは既に屡々《しばしば》嫌疑されてゐた事、即ち『死んだ魂』の一般的に行はれてゐる事や、子供の定食糧を食ふ附属物が沢山ゐる事や、其他の贈賄方法や何にかだ。委員会が見出した例としては、百二十五人の子供がゐる学校の内に百三十八人の附添ひがある。また他の処では二十五人の子供達に三十八人の附添ひだ。しかもそれは例外の事ではないのである。
其の上に委員会の通信は子供達が酷く疎略にされてゐる事を明かにした。子供は汚いボロにくるまつて、そして不快な臭のする敷布なしの寝具の不潔な上で寝る事を許されてゐる。そして、或る子供達は、罰を受けて夜真暗な室の中に閉ぢ込まれてゐる。又他の者は夕飯を抜く事を強制され、
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