とホッとした。
 ちょうどそのとき叔父が手荷物の始末をすましてそこに来た。後からまき子も来た。登志子は息がつけると思った。しかしどうしても後かれはやかれあの男と口をきかなければならないと思うと、なんだか体のアガキがとれないような気がした。その上に、もう十日か二十日もしたら、どうしてもあの男の家に行って、あの男と一緒に生活しなければならない――登志子にはそんな不快なことがどうしても出来そうになかった。
「なぜ帰って来たろう」
彼の女はつづけざまにそればかりを心で繰り返した。
 登志子やまき子が帰っていく所は停車場から三里余りもあった。途中でも彼女は、身悶えしたいほど不快な遣り場のないおびえたような気持ちに悩まされ続けた。自分のその心持を覚られたくはなかったけれども、まき子がそわそわ嬉しそうな様子をしながら浮っ調子で話しているのを見ると、まるきり知らないではないのにもう少し自分の今の気持に同情があってもよさそうなものだ、注意してくれてもよさそうなものだという愚痴な、不平な心も起こして見たりした。
 まき子の家に皆荷物をおろして、ちょっと立寄ったまま、登志子は松原つづきの町の家の方へ歩いていった。安子はまき子の家に泊ることになったので登志子と永田とが一緒に帰るのだ。挨拶をしてまき子の家の門口を出るや否や登志子は、後もふりむかずに出来るだけ大いそぎに袴の裾を蹴って歩いた。彼女は永田が彼女の態度に不快を感じているということは充分に承知していた。しかし身震いの出るほどいやなもの声を聞くのもいやだった。肩をならべて歩くことなんかとても出来ない。登志子はひたいそぎにいそいだ。それでもおとなしい永田はてくてく彼女の後からついてきた。登志子はもうなるべく追いつかれないように懸命になって急いだ。永田はとうとうこらえきれずに、
「登志さんは馬鹿に足が早いんだね」といった。登志子は返事することも出来なかった。
 家では祖母が出たりはいったりして彼女を待っていた。駈け込むように家にはいると、そこに母や祖母などのなつかし気な笑顔が並んで彼女を迎えた。一家中の温い息が登志子の身辺に集まって、彼女のはりつめた心がようようにほぐれかけた。しかしそこにまだ永田がいると思うと、泣きたくなった。いろいろな皆の言葉もすこしも耳には入らない。
「私大変疲れていますから夜になるまで少し寝ますよ」
 わがままらしく
前へ 次へ
全9ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
伊藤 野枝 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング