しかしだまっている訳にはいかない。ようやくしぼり出したような苦しい笑を報いながら、
「ええありがとうやっとどうにか――」と小さな声でいって下向いた。
「どうかしたの、真青な顔だ、気分でも悪い?」
「え、少し疲れたからでしょう」
「そう、前のはまき子さんと叔父さんだろう」
「ええ」
 階段を降りて入口を出ようとする所で叔父と田島は挨拶を交わした。田島は改めて卒業の祝辞を叔父にいった。叔父の顔はいかにも満足気に輝いた。
「え、まあどうにかつまづきもなくおかげさまで卒業までに漕ぎつけました。いやしかしどうもずいぶん骨が折れましたよ――」
「そうでしょう、しかしもう大丈夫ですよ御安心が出来ますね、本当に結構でした」
と傍のまき子の方に顔を向けた。叔父は忙しそうにそわそわしながら手荷物の世話などしはじめた。
 登志子は呆然とそこに立っていた。永田に言葉をかけられることが恐ろしくてたまらなかった。なるべく彼と面を合わせないように合わせないようにと注意しながら立っていた。田島にだけは何かいいたいことがあるように思われていらいらした。いくども二人は顔見合わせた。そのたびにお互いに何かいいたげな顔をしては黙っていた。登志子はいよいよたまらなくなってしまった。こみ上げてくる涙を呑み込み呑み込み洋傘の柄をしっかり握って、どうかして自分ひとりきりになりたいと願った。そんなことの出来ようはずがないのが分っていながらも。――
 暇取るとみて田島は、そのうちに宅に来てくれといって帰ってしまった。いよいよそこには安子と永田と登志子になった。彼女は永田の声を聞くことが体が震えるほど嫌だった。なるべく彼と口きかないように口きかないようにと避けて見たけれど、とうとう機会が来てしまった。せめて安子とでも何かいっていたいのだけれど、安子との話にきっと永田も仲間入りするだろうと思うとまたいやになってきて、どうしても口が開かない。三人ともだまってそこに立っていた。登志子にはその沈黙が苦しく気味悪くてたまらない。その沈黙の破れるときが恐ろしくてたまらない。けれどそれをどうすることも出来ないのだ。はやくまき子でも来てくれればいいと思ってはそこらを見まわした。まき子はそこらに見えなかった。
「ずいぶんお疲れになったでしょう」
 登志子はハッとした。しかしすぐ後から気軽な安子の返事が聞こえたので、自分ではなかったと思う
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