きた頃から、彼はまた同志に対しても、以前の無遠慮をとり返してきました。彼と若いNの激論が毎日のように始まりました。そしてとうとう彼は私の家を去りました。
 Yはその時すでに、生活の方法を失っていました。彼は再び鍛冶屋になって働く気をもう少しも持っていませんでした。止むを得ぬ事情の下におかれて、彼は同志の家で、食客の出来る家を転々し始めました。三月の末に、Oが三月の刑期を終えて出獄する頃には、私にはもうYの将来に対する望みはまったくなくなっていました。が、それでもまだ、それ程ひどく、彼は自分の道を踏みはずしているようにも見えませんでした。
 が、彼は明白にOに対する反感を現わし始めたのは、私共が曙町を引き払うのに前後した時分からでした。私はそんないやしい動機が直接の因をなしたとはいいませんが、少なくともその時に受けた不快な気持が、前々からの私共の生活に対する反感と一緒になって、それ以後の私共の生活に対する批難になったのではないかという疑問を一つ持っています。
 それはOが出獄してから幾日もたたないうちです。牢から出てくると、彼は今まで極端に押えられた食物に対する欲望を満すことで夢中でした。で、彼は、できるだけうまいものを食べる機会をねらっていました。彼がさっそくに思いついたのは、留守の間を働いてくれた人達の慰労会をすることでした。彼は私の手料理を望みましたので、その日取りの前日に、私はOと一緒にその材料の買い出しに出かけました。食物に飢えたOの眼には、走りものの野菜がことに眼をひきました。私達は、筍や、さやえんどうや、茄子や、胡瓜や、そんなものをかなり買い込んで帰ってきました。Oは、私が料理をするときにはいつもするように、野菜物の下ごしらえの手つだいをしていました。そこにMさんがYを連れて見えました。
 その日招待した客は、内にいる四五人と、他に雑誌の上に直接の援助を与えてくれた、二三の人達だけでした。それだけでも、私共の狭い家と乏しい器物では多すぎるのでしたが、さらに二人のお客がふえたことは大変な番狂わせになります。私はいろいろ思案をしながら、そして、今日のせっかくの慰労会に無遠慮なYに割り込まれるのは困ったことだとおもいながら、働いていました。
 すると間もなく二人のお客様は帰ってゆきました。
「帰りましたの?」
 私は台所に、またはいってきたO[#底本では「O」が脱字、366−12]を見上げながら訊ねました。
「ああ帰った。Yの奴、Mが帰ろうというと、『三月だというのに筍の顔なんか見て帰れるかい。俺あ御馳走になって帰るんだ』といっていたから、今日は君は招待された客じゃないのだ、御馳走することはできないから帰れって帰してやった。」
「困った人ね。」
 私はただそういうよりほかはありませんでした。それと同時に、図々しいYに対しては、私は助かった、という気がしただけでしたけれども、Mさんには何となく済まない気がしました。

 間もなく私共は一時雑誌を中止して鎌倉へ引越しました。その冬、第二次の「労働運動」を初める頃までに、二三度遊びに来ましたが、彼はもう何となく、私共に反感を持つと同時に煙たがっていました。そして帰りにはきっと乏しいOの財布をはたかせたり、最後にはその上に着物までも質草に持っていくような真似をしました。
 その後、彼はもう猛烈にOの悪口を云っていることを私共は知っていました。彼は同志をとおしては、雑誌をはじめるということを口実に金を要求してきました。が、Oは他人を通じてのその無心にはいっさい耳を傾けませんでした。
 Oが第二次の「労働運動」をはじめてからは、明らかに敵意を示しはじめました。同時に自分でも雑誌をはじめましたが、それは、遂にOの予言どおりに、彼を真面目な運動からそらして、一個のゴロツキとする直接の原因になりました。私共には、地方のあちこちの仲間の間まで歩きまわって、彼が金を集めているという話が聞こえました。やがてその次には、彼がOや仲間を売ったといういろんな風評を聞くようになりました。
 彼がロシアへ立つ前に仲間の人々に対して働いた言語同断なあらゆる振舞いは、もう人間としてのいっさいの信用を堕すに充分でした。それ以後も、彼はただ、今はもうそうせずには生きてゆくことができない欺瞞で、自他ともに欺きながら生きているのです。彼はもう、今はおそらく仲間や、少くとも仲間の人達が近い交渉を持っている人々の処では、何の信用もつなぐことのできない境遇に追い落されています。
 しかし、彼の持ち前の図々しさと自惚れは、まだ彼をその堕落の淵に目ざめすことができないのです。私は彼の目ざましかった初期の運動に対する熱心さや、彼の持っている、そして今は全く隠されているその熱情を想うたびに、彼のために惜しまずにはいられません。が、
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