はじめたのです。そして、その真面目な運動の話の方面にさえ大分誇張がまじってきました。
新しい興味の多い労働者への宣伝に夢中になっている人達には、もちろんそんなことはどうでもよく、気もつかないようでした。しかし、「小説の中の人物のように」彼を見ようとして、始終彼に気持の上の圧迫を受け続けていた私には、だんだんと、彼が、労働者の同志として、みんなに大事がられるその位置に、いい気になりだしてきたのが分りました。
三
Yを慢心させ、その後彼をもっと悪い堕落に陥し入れたもう一つの大きな原因になっているのは「警察が恐くない」という実に単純な一つの事実です。
それは、私共が、滝野川の家に越してから間もなくでした。Oは、何かの用事でYの家に行く事になりました。Oは以前一度その家へ行って見て、ぜひ私をその家に連れてゆこうといい出しました。当時Yは、浅草の田中町の小さな裏長屋に、始終彼の啓発者であったMさんといっしょに住んでいました。私は半ば好奇心からある晩子供をおぶって出かけてゆきました。
それは、四畳半一間の家でした。しかもその四畳半の半だけは板の間で、そこがまず台所という形で、つきあたりの押入れは半分が押入れで、あとの半分が便所という住居でした。露路をはいると、何ともいいようのない一種の臭気に閉口しながら、Yの家にはいった私は、そこでもその臭気に悩まされ続けました。
話がはずんで、少し遅くなって帰ろうとすると、Yは泊ってゆけとしきりにとめるのです。私はその無茶な申出に驚いていました。さすがにMさんは、
「こんな処に泊めちゃ迷惑じゃないか。」
とYをとめていましたけれど、Yはそんなことにはいっこうおかまいなしです。「くっつき合って寝れば八人は寝られる」と彼はムキになって主張するのです。
「後学のためだ、一つ我慢して泊って見るか。」
とOは私を振りむいていいました。
「とんだ後学だなあ。」
Mさんも私の顔を見ながら気の毒そうに苦笑しました。
「この辺の様子が、夜でちっとも分らなかったろう? 明日の朝もっとよく見て行くことにして泊ろうか。大分おそくもあるようだ。」
「ええ。」
私も仕方なしに、泊ることにしました。
その夜私は一晩中、うすい蒲団の中でゴロ寝の窮屈さと、子供を寒くないように窮屈でないように眠らすために、寝返りをすることもできず、体が半
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