いろな功利的な不純な心の働きが力を失うまでには間がありました。今度は、私は、自分の持っている愛を否定しようとはしませんでしたけれども、保子さんと神近さんがある間は進むことが出来ない、ということをいい出しました。
 私がそういい出した本当の心持は、やはりそれについて世間から受けるべきはずの非難が恐ろしかったのです。ですから大杉さんに、「その理由がない」と断られたとき、私は「そんなら、私たちはもうこれっきりです」ときれいにいい切ってしまいましたが、お互いに思いきって口でいったほど強くはなれませんでした。で私は、ぶつかる処まで行って見る気になりましたのです。その時の私の気持は、私がもう少し力強く進んで行けば、その力で二人の人を退け得るという自惚が充分にありました。そうしてそう自分で決心がつきますと、非常に自由な気持になりました。今まで大変な苦しみの中におさえていた情熱が、ようやく頭をもたげてまいりました。私の苦悶はそれで終わりました。私はその夜かえるとすぐに私の決心を辻に話しました。そうして辻の同意を得て、その翌日家を出てしまいました。

     四

 それまでのいろいろな事に対する苦悶が多かっただけ、私は家を出たその日からすべての事に何の未練も残さずにすみました。永い間私を苦しめた功利的な醜い心遣いもなくなりました。私は今、何の後悔も持たないでいられることを非常に心持よく思います。
 大杉さんとの愛の生活が始まりました日から、私の前に収まっていた心持がだんだん変わってくるのが、はっきり分りました。前にいいましたような傲慢な心持で、保子さんなり、神近さんなりのことを考えていました私は、二人の方のことを少しも頭におかずに、大杉さんと対っている事に平気でした。そうして、私がその自分の気持に不審の眼を向けましたときに、またさらに違った気持を見出しました。「独占」という事は私にはもう何の魅力も持たないようになりました。吸収するだけのものを吸収し、与えるものを与えて、それでお互いの生活を豊富にすることが、すべてだと思いましたときに、私は始めて私達の関係がはっきりしました。
 たとえ大杉さんに幾人の愛人が同時にあろうとも、私は私だけの物を与えて、ほしいものだけのものをとり得て、それで自分の生活が拡がってゆければ、私には満足して自分の行くべき道にいそしんでいられるのだと思います。[#地付き](一九一六年九月)



底本:「日本の名随筆 別巻84 女心」作品社
   1998(平成10)年2月25日初版発行
底本の親本:「伊藤野枝全集 下巻」学芸書林
   1970(昭和45)年6月発行
入力:門田裕志
校正:林幸雄
2003年5月17日作成
青空文庫作成ファイル:
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