僕の読書法
織田作之助
僕は視力が健全である。これはありがたいものに思っている。むしろ己惚れている。
己惚れの種類も思えば数限りないものである。人は己惚れが無くてはさびしくて生きておれまい。よしんばそれが耳かきですくう程のささやかな己惚れにせよ、人はそのかけらにすがって群衆の波に漂うているのではなかろうか。果して小人だけが己惚れを持つものだろうか。己惚れは心卑しい愚者だけの持つものだろうか。そうとも思えない。例えば作家が著作集を出す時、後記というものを書くけれど、それは如何ほど謙遜してみたところで、ともかく上梓して世に出す以上、多少の己惚れが無くてはかなうまいと思うが、どうであろうか。恥しいものですと断ってみても、無理矢理本屋に原稿を持っていかれたと体裁の良い弁明をしてみても、出す以上は駄目である。よくよく恥しいという謙遜の美徳があれば、その人の芸術的良心にかけても、たれも本にすまい。人に読ませる積りで書いたのではないという原稿でも、結局は世に出ている。自分の死んだあと、全集を出すなと遺言した作家は何人いるだろうか。
謙遜は美徳であると知っていても、結局は己惚れの快感のもつ誘惑
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