三郎の前に、どっかりと坐ると、
「どや、お前ら腹がすいたやろ」
と、例の女のようなネチネチした口調で言いながらにこにこと笑っていた。
次郎と三郎には思いがけぬやさしさだったから、ほっとして、
「うん」
と、うなずくと、針助はふところからパンを出して、
「パンをたべろ」
次郎と三郎は顔を見合せた。
「どないしよう」
「食べよか」
「うん」
眼で語って、二人は同時に手を出したかと思うと、あっという間に口の中へ入れてしまった。
腹の皮がひっつくくらい、ペコペコになっていたせいか、涙が出るほど美味かった。カンゴクへ連れて行かれるかも知れないという恐怖を、ふと忘れるくらい、無我夢中で食べてしまって、きょとんとしていると、
「どや、美味いか。ほしかったら、もっとあるぜ」
と、針助はまたパンを出した。
次郎はふと、
「このパンを母ちゃんに持って帰ってやったら……」
どんなに喜ぶだろうと、思った。が、果して無事に家へ帰れるかどうか。
しかし、三郎はさすがに年が幼かった。何も考えずに、あっという間にパンを口の中へ入れて、のどにつまり、眼を白黒させていた。
そんな二人の容子をにやにやしながら、針助は、
「お前ら、まだ新米の掏摸やろ」
と、言った。
「…………」
「下手くそやぞ、お前らの掏り方は……」
「今夜はじめてだす」
次郎は蚊の鳴くような声を出して、
「――かんにんしとくなはれ、大将」
と、ぺこんと頭を下げた。
「はじめてや……?」
と、針助はにやにやして、
「――そやろ、新米でなかったら、あんな下手な掏り方はせん。どや、おっさんが一つ仕込んだろか」
「えっ……?」
「おっさんとこイ、来たらいつでも仕込んだる。一人前の掏摸になるネやったら、おっさんの云うことをきいたら、間違いない。まず刺青をするこっちゃ。ええ顔の掏摸になれるぜ」
「…………」
「どや、もっと食べるか」
と、針助はまたパンを出した。
「おっさんとこイ来たら、いつでもパンを食べさせたる」
「おおけに……」
「それから……」
と、にやりと笑って、
「――刺青をしたる」
「えっ……?」
刺青ときいて、次郎と三郎はまるで腰を抜かしてしまった。
「刺青はして貰わんでもかめしめへん」
次郎はあわてて言った。
「なんぜや」
と、ガマンの針助は云った。
「なんぜかテ……。刺青みたいなもンしたら、母ちゃんに叱られま」
「なんぜ叱られるねン」
「なんぜ言うたかテ、刺青いうたら、まともな人間のするもんと違いまっしゃろ」
次郎はませた口調だが、さすがに少年らしくぶるぶるふるえた声で言った。
「そら考えちがいやぜ」
と、針助はネチネチとした口調で、言いきかせるように、
「――刺青いうたら、ええもんやぜ。だいいちお前ら掏摸になるネやったら、刺青の一つぐらいしとかんと、幅が利かん。刺青をしてるのンと、してへんのと仲間での顔の売れ方がちがう。ええ兄貴分になろうおもたら、刺青にものを言わすのが一番やぜ」
「いやだす、いやだす」
「わいもいやや」
次郎と三郎は口をそろえて言った。
「いやか。ほんまに、いやか」
針助の声は急に凄んだが、ふと優しい女のような声に戻ると、
「あはは……、まア、パンでも食べろ」
と、またふところから差し出した。
「…………」
次郎と三郎はしかし、もう出されたパンに手を出そうとしなかった。
針助はギラギラ燃える眼で、なめるように二人を見つめていた。
二人の身体つきは少女のようにきゃしゃで、首筋は垢でよごれているが、垢の下の皮膚は少女のように白く、何か哀れな脆さが痛々しかった。が、それだけに、
「こんな子供を裸にして、背中にプスリと刺青を入れてみたら……」
という、残酷な期待に、針助は全身がうずくようだった。
「――あの針をプスリと……」
と、針助は部屋の隅の針をちらと見た。針の先は電燈の光を浴びて、白い鋭さに冴えていた。
針助はギラギラと燃えていた眼を、急にうっとりと細めて、針の先を見つめていたが、やがて、
「ほな、どない言うても、いやか」
次郎はうなずきながら、思わず三郎に寄り添うた。
三郎はもう口も利けず、次郎にすがりついていた。
「いやなら、いやでもええ、その代り、お前らを監獄イ入れてやる」
「カンゴク……?」
次郎と、三郎は、飛び上った。
「そや、お前らわいを掏りけつかったさかい、監獄イ行かんならんぞ」
「かにしとくなはれ。それだけはかにしとくなはれ、カンゴクだけは……」
「ほな、刺青をするか」
針助の声は急に凄んだ。
「――監獄イ行くのがええか、刺青をするのがええか。どっちや」
青蛇団
ヒンブルのお加代――またの名を兵古帯のお加代が、鴈治郎横丁界隈で、大阪の南の空で流星を見て、
「――豹吉!」
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